イギリス史上最長の在位期間を誇り、長年に渡り国民に愛されてきたエリザベス女王の葬儀は、9月18日、世界中の注目を集める中で無事執り行われました。
伝統にのっとった、厳かな中にも華やかで温かみある盛大な国葬にくぎ付けになった方も多いのではないでしょうか。
これを書いている sora も、ずっと生中継されていたBBC放送をかけっぱなしにして、現地時間の早朝6時頃(日本時間14時)から、女王が埋葬される直前のセレモニーまで(日本時間深夜1時)見届けました。
女王が崩御されてから10日ほどで行われたこの国葬。
当然ながらこれだけのセレモニーをこの短い期間で急に計画したわけもなく、ご高齢だったエリザベス女王も加わり、長い時間をかけて計画されてきたと言います。
今回は、英国「INSIDER」誌で報じられた、20年も前からこの葬儀の計画に携わったという、ある公爵の話をご紹介します。
エリザベス女王の葬儀計画
エリザベス女王の葬儀は、世界各国の王族やリーダーたち、その他関係者、総勢2000人が参列する中、ロンドンのウェストミンスター寺院にて執り行われました。
しかし、70年間君臨した女王に敬意を表しながら、セレモニーをを円滑に進めることは、決して容易なことではありません。
このセレモニーの計画を、20年も前に託された公爵がいました。
The Times of London 誌によると、そのすべてを無償で行ったというのです。
代々に渡り王室のセレモニーを計画する一族
エリザベス2世の葬儀の計画を任されたのは、エドワード・フィッツァラン=ハワード公爵。
彼は、1672年以来、代々王室の葬儀や戴冠式を計画してきた一族の末裔にあたり、2002年に父親が亡くなった際、第18代ノーフォーク公の称号を受け継ぎました。
爵位の他にもイングランド元帥の役割も受け継ぎ、議会の開会式、王室の国葬、新君主の戴冠式などを計画する責任者となったのです。
因みに、1953年の女王の戴冠式、1965年のウィンストン・チャーチル卿の国葬、1969年の国王チャールズ3世のプリンス・オブ・ウェールズ叙任式は、彼の祖父が担当しています。
フィッツァラン=ハワード家は、1042年から1066年まで王として君臨したエドワードの時代まで遡ることができる英国で最も古い貴族のひとつです。
現在の公爵は、先祖代々の家である11世紀に建てられたウェスト・サセックス州のアランデル城に住んでいます。
この城は、850年以上にわたってノーフォーク公爵家とその祖先の居城として使用されてきました。
エドワード氏の父は生前、こう言っていたそうです。
「女王の葬儀など朝飯前だ」
しかしエドワード氏は、実際、そう簡単にはいかないかもしれないと感じながら、父親の死後、女王の葬儀の計画をスタートさせたのです。
今回の葬儀が実施される前に、彼は The Times 誌のインタビューにこう語っています。
「計画通りに進むかとても恐ろしい気持ちですが、その場に立ち向かわなければならないのです。素晴らしいチームに恵まれていますが、すべての責任は私にありますから。」
ウェストミンスター寺院の葬儀は200年振り
バッキンガム宮殿の王座の間で、葬儀について毎年ミーティングを開いていたといいます。
2002年にエドワード氏が女王の葬儀を仕切る責任者に就任して以降、葬儀のプランニングチームは当初の20人から、この4月には280人にまで増員されています。
70年前を参考に新しい視点も
女王の葬儀の参考にしたのは、1952年に亡くなったエリザベス2世の父、ジョージ6世の葬儀ですが、それも70年前のこと。
エドワード氏は「私は常に、儀式は時代とともに変化する必要があると強く意識しています」とインタビューに答えています。
それまで数百年に渡り引き継がれてきた、英国王室の君主の死に際し行われる伝統的なセレモニーも、いくらか変更を加えていく必要があると考えていたといいます。
最も顕著な変化のひとつが「葬儀の場」です。
ウィンザー城のセント・ジョージ礼拝堂で行われた父王ジョージ6世や夫フィリップ殿下の葬儀とは異なり、エリザベス2世の葬儀はより多くの参列者がいることを考慮し、ウィンザー城ではなくウェストミンスター寺院で行われました。
ウィンザーのセント・ジョージ礼拝堂で行われたが、この礼拝堂の収容人数は800人。
ウェストミンスター寺院で行われたのは200年振りのことでした。
ひとりでも多くの国民が別れを告げられるように
さらに、一般の参列者が女王の棺に対面し、敬意を表することができるよう、静養の時間を慣例よりも1日長く設けたことも、今回の新たな変更点です。
先代王ジョージ6世の葬儀の際は3日間の静養の時間を設け、約304,000人がウェストミンスター・ホールに弔問に訪れ、最大4マイル(約6.5km)の行列ができたといいます。
今回のエリザベス女王の葬儀までの静養の時間は、4日間が設けられました。
これにより、ジョージ6世のときの倍以上の国民が弔問に訪れ、行列の待ち時間は24時間以上に達しました。
エリザベス2世がどれだけ国民に愛されていたかがうかがえます。
女王がスコットランドのバルモラル城で亡くなってから、女王の棺はスコットランドの首都エジンバラで1日安置され、その後、空軍の飛行機でロンドンへ運ばれバッキンガム宮殿に到着、翌日には砲車でウェストミンスター・ホールに運ばれました。
女王の棺がスコットランドから陸路ではなく空路を使って運ばれたことに対し、陸路なら道中でもっと多くの国民が女王に別れを告げられたのではないかと、一部から失望の声が上がっていたようですが、エドワード氏によれば「警備上の問題で不可能だった」ようです。
エドワード氏「私は国家に一銭も請求しない」
女王の棺は、9月19日(月)の朝までウェストミンスターホールで一般国民からの弔問を受け、その後、国葬のためにウェストミンスター寺院に運ばれました。
約1時間の葬儀の後、ロンドン市内を砲車の葬列で移動、その後は霊柩車に乗せられウィンザーに向かいました。
葬儀の責任者であるエドワード氏は、棺より先にウィンザーに到着しなければなりません。
彼は緊張感をもってそのときを迎えたといいます。
ウィンザー城のセント・ジョージ礼拝堂にて行われた告別式を最後に、女王の棺は父王ジョージ6世、クイーンマザー、妹マーガレット王女、そして最愛の夫フィリップ殿下とともに、キングジョージ6世記念礼拝堂に安置されました。
これにて、エドワード氏の20年に渡る「女王葬儀計画」が滞りなく完結したことになります。
この葬儀は長い時間をかけて計画され、準備されてきたものです。
しかしながら、エドワード氏はこう言い切ります。
「私は元帥としての仕事に対して、国家に一銭も請求しないと決めている」
まとめ
あれだけの規模の葬儀を取り仕切るには、相当な時間と綿密な計画が必要であることは容易に想像がつきます。
その重要な役割、職責を代々に渡って担う「一族」がいることには驚きでした。
ましてや「無償」でその職責を全うしたというのですから、尚のこと驚きですね。
歴史に刻まれるであろうエリザベス2世の葬儀は無事に終わりましたが、エドワード氏は次なる国家行事に向け、すでに動き出していることでしょう。
今回は、誇り高き英国の、誇り高き公爵のおはなしを紹介しました。
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