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ポルトガル「ファティマの奇跡」詳しく解説~3人の子どもの前に聖母現る

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1916年の春ごろ、世は第1次世界大戦下、オリーブの木しか生えていないような荒れ地であったポルトガル・ファティマの地で、奇跡が起こりました。

そしてそれは「ファティマの奇跡」として、今に語り継がれています。

このお話、どこかで耳にしたことがあるな~くらいには知っている人もいるかも知れません。

3人の子どもの前に聖母マリア現る

ファティマの奇跡

1916年春、ファティマに住む3人の子どもたち、ルシア、フランシスコ、ヤシンタのもとへ、「平和の天使」と名乗る14~15歳の若者が現れました。

彼らは子どもたちに祈りの言葉と、額が地面に着くように身をかがめる祈り方を教えます。

そしてその後も度々「平和の天使」は子どもたちを訪ねていたといいます。

聖母マリアからのメッセージ

そして翌年、1917年5月13日、ファティマの子どもたち3人の前に「聖母マリア」を名乗る謎の婦人が現れ、毎月13日に同じ場所へ自分に会いに来るようにと告げます。

子どもたちは、様々な妨害にあいながらも、この「聖母マリア」と名乗る婦人と会うことを続け、様々なメッセージを託されました。

聖母マリアからのメッセージは大きく分けて3つ。

 死後の地獄の実在

多くの人々が罪な生活により地獄へ導かれているというものです。

肉欲や傲慢など、現世的な罪から回心しないままでいることによって、人は死後、永遠の地獄へいくのだと。

聖母マリアは、3人の子どもたちを訪れた3度目の7月13日、地獄のビジョンを具体的に見せ、そのあまりの光景に子どもたちはおののいたと言います。

地獄は神話などではなく、実在するのだと。

すべての人が死後そこへ向かう可能性がある場所であり、一度そこへ入れば最後、二度と出ることはできないと説きました。

 大戦争の終焉と勃発

第1次世界大戦は間もなく終わることを告げます。

しかし、人々が生活を改め、行いを悔い改めないのであれば、ふたたび、さらに大きな戦争が起こり、大勢が死に、その多くが地獄に落ちることになると。

その予兆としてヨーロッパに不気味な光が漂うことになるであろうことも告げました。

1938年、ヨーロッパでは巨大なオーロラが観測され、その直後に第二次世界大戦が勃発した記録が残されています。

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 秘密のお告げ

この3番目のお告げは、「1960年になったら公開しなさい、それまでは秘密にするのです」と聖母マリアがルシアに厳命したとされています。

その内容は「ファティマ第3のお告げ」と呼ばれ、ルシアによって教皇庁に伝えられました。

しかし、教皇庁は1960年になってもこのお告げを開示しませんでした。

それが「教皇の暗殺」の危機であったと教皇庁が発表したのは、2000年になってからです。

この予言について当時の法王ヨハネ・パウロ二世は、1981年5月13日に起きた東欧の政権による暗殺未遂であったと発表しましたが、これにたしては懐疑的な意見も多いようです。

2000年に教皇庁が発表した文章は、前の二つの予言に対して規模が小さすぎるとの意見が出ている。

40年間に渡って秘密とされ、60年代には当時の教皇が絶句したり発表を見送ったりしたような内容とは思えないというのです。

公開された第三の秘密には、「一群の兵士たちによって白衣の司教ら大勢の高位聖職者が射殺される」と書かれており、1981年の事件とは大きく食い違います。

もっとも、第三の秘密(予言)の内容を知っているルシアが「これはほんの一部でしかなく、バチカンは嘘をついている」と司法省に提訴したと言いますから、バチカンが何かを隠していることは明白でした。

最終的には調停によって両者の和解が成立していますが、それは即ちバチカンが何かを隠しているということを認めたという結果でもあります。

そのため、第三の秘密はまだほんの一部しか公開されておらず、本格的には未公開であるとされています。

第三の秘密を託されたルシアは2005年に97歳で亡くなりました。

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聖母マリアからの教皇への要望

聖母マリアと名乗る婦人から、子どもたちを通じて出された要望は2つありました。

ファティマ

ロシアの奉献

1つ目は、ロシアを聖母に奉献し、ロシアが引き起こし兼ねない災厄と誤膠から世界を救うこと。

当時はまだ(ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派である)ポルシェビキ政権は成立しておらず、このメッセージについては、ロシア共産革命、冷戦となって実現化されたとされています。

そして、祈ること。

カトリック信者はロシアの回心と世界平和のためにロザリオを唱えることを要望しました。

人々の回心

もう一つの要望は、人々の回心です。

カトリックは毎週主日に聖体拝礼するようにと。

そしてしっかりと告解し(洗礼後に犯した自分の罪を聖職者へ告白し、これを通じて自分の罪に対して神からの赦しと和解を得る)、罪を避け、敬けんな生活を送るように求めました。

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そして人々の前に聖母マリアが出現

ファティマの奇跡

1917年10月13日、奇跡が起こりました。

人々の前に聖母マリアが出現されたとされる奇跡です。

「聖母マリアが現れて奇跡を行う」という予言を目にするために、その場に集まった1万人の群衆は雨でぬれていました。

そして奇跡が起こります。

その目の前で太陽が狂ったように急降下したり、回転したりを繰り返し、その猛烈な熱波でびしょ濡れだった人々の衣服は乾いてしまったといいます。

当時、世界各国の天文台でこのような太陽の異常事象は観測されておらず、つまり、これが幻覚であるならば、その場にいた7万人の人々が、一斉にこの不思議な幻覚を見たと言うことになります。

この出来事は、その場に居合わせた新聞記者たちも同様に目撃し、あらゆる新聞で大々的に報じられたといいます。

ファティマの奇跡

その場には、奇跡をひとめ見ようとその場に集まっていた群衆を散らすために、山岳兵の部隊も居合わせましたが、この奇跡を群衆とともに目の当たりにした彼らも、直ちに回心したと言われています。

そして、多くの人々は、この奇跡が「世の終わり」を指しているのではないかと恐怖を感じました。

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予言を受けた子どもたちの運命

のちにカトリック教会ローマ教皇庁は、この一連の奇跡とされる現象を「聖母の出現」として公認しました。

そして5月13日がファティマの聖母の出現記念日となっています。

聖母の予言を受けた3人の子どもたちはその後、どうなったのでしょうか。

3人のうちのフランシスコとヤシンタの兄妹は、聖母が予言していたとおり間もなく病死しています。

そして2000年になって、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世よって列福されました。

もうひとりのルシアは、修道女となり「予言」の内容を教皇庁に伝える役目を果たしました。

そして2005年2月13日、97歳でこの世を去りました。

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まとめ

こうした一連の奇跡や、教皇庁の認可を受けたファティマの地は、世界的に有名な聖地となり、毎月13日には多くの巡礼者がこの地を訪れています。

バチカンが開示することをも恐れる「第3の予言」。

いまでも多くの人々の間で憶測を呼んでいます。

ネットを叩けば、とても興味深い推察がいくつも出てきます。

1960年当時、教皇庁は開示をしませんでしたが、直接お告げを受けたルシアは自身で公表するという選択肢はあったはずです。

2000年にバチカンを提訴していますが、ならば真実を自らの口で何故伝えようとしなかったのか。

凡人である sora はそんなところにも疑問が湧いてきます。

ルシアは修道女になっていますので、バチカンが開示しない以上、自らの口から開示するという選択肢はなかったのかも知れませんし、もしかしたら、個人の口から発するにはとても耐えきれない重大なお告げだったのかも知れません。

謎だらけの「ファティマの奇跡」第三のお告げ。

皆さんは、どのように感じましたか。

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