MONOLOGUE
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ポルトガル

ポルトガルを旅する【4】聖母マリアの奇跡-伝説の地ファティマへの巻

ファティマ

ペデロ王とイネスの悲恋物語を訪ねてアルコバサ修道院を訪ねたものの、日曜ミサでまさかの入場制限にあって二人の棺に対面できず。

この旅は初日からハプニングばかり。

さて、今日は気を取り直して「Cityrama Tour」で巡る5つの町、3つ目の町、ナザレからスタートします。

美しい海岸線を持つ漁師町「ナザレ」

ナザレ

白砂の海岸が続く漁師町ナザレは、4世紀にパレスチナのナザレから、ひとりの聖職者が聖母マリア像を持ち込んだことに因んで町の名前が付けられたと伝えられています。

ナザレは独特な習慣や、漁民によって編まれる伝統的な衣装が良く知られています。

ナザレ

既婚女性たちは黒衣に身を包み伝統的なスカーフで頭部を覆い、刺繍を施したエプロンを多色使いのフランネルのスカートの上に重ねます。

この伝統的な装束は今でも時折見かけることがあると聞きましたが、sora が訪ねたときにはこの伝統装束どころか、ひとっこ一人出会わず。(笑)

ナザレ

このナザレでは、ランチストップのみだったので、ゆっくり町の中を歩くことはできなかったのですが、ランチ前に海岸沿いで時間をとってもらい、その美しい風景を堪能することができました。

雨もこのときはわずかながらの小休止。

青い空!青い海!というわけにはいきませんでしたが、海(を眺めるのが)大好き!!な sora には至福のひとときでした♡

ナザレ

このときはひとっこ一人いませんでしたが、夏のピーク時にはこの海岸が人であふれ返るそうです。

が、この風景をみる限りは想像つかず、ひっそりと静まり返って波の寄せ返す音だけが響いていました。

ランチストップのレストランは海岸から少し離れ、ひたすら高台へと上がって行ったところの住宅街にありました。

魚料理のメインにライスプディングのデザート&エスプレッソコーヒーでしたが、sora はこのライスプディングが苦手です。

イギリス留学中に出会い「ごはんにミルク!?カスタード!?」と衝撃を受けて、以来、なんどとなく遭遇していますが、どーもね…。

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その名は戦い「バターリャ」

バターリャとはポルトガル語で「戦い」を意味します。

1385年8月14日、王位を狙って攻め入って来たカスティーリャ軍を、ジョアン1世率いるポルトガル軍が打ち破ってスペインからの独立を守りました。

この歴史的勝利に感謝を捧げるため、1388年、ジョアン1世がこの場所に修道院を建立、その後600年が経った1983年、ユネスコの世界遺産に登録されました。

みどころは修道院のみ

この町には修道院以外に目立った名所旧跡はなく、観光はこのバターリャ修道院のみでしたが、ナザレで小休止していた雨が再び激しく降り始め、そろそろ嫌気がさしてきました…。

カメラを構える度にレンズに水滴💧がつき、それをタオルで拭き取ると、今度はレンズがくもるという、負のスパイラル。

あ~イライラ!

 バターリャ修道院

世界遺産

バターリャ

正式名称は「勝利のサンタ・マリア修道院」といい、この修道院は2世紀にわたって建設されました。

建設が開始されたのが1386年、のち1517年にある程度まで完成しますが、その間にポルトガルでは国王が7人も変わりました。

バターリャ

建設には15人の建築家が携わったそうですが、その中でもアフォンソ・ド・ミンゲス、フュゲット、フエルニヤーオ・ドエヴォラ、マテウス・フェルナンデス、ディエゴ・ポイタック、ジョアンド・カスティーリョ等の6人が良く知られています。

バターリャ

この修道院の建設には膨大な人的、物的資源が投入されましたが、建設を通じてまだポルトガルでは未知であった建築技術や芸術様式が導入されたことで、独自の発展を遂げてきたといいます。

バターリャ修道院の駐車場で、ポルトガル伝統菓子の販売をしていました。

ファティマ

色とりどり、色々なお菓子が並んでいましたが、どれも甘そう…。

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ファティマの奇跡、伝説の地を訪ねて

キリスト教の聖地として知られるファティマのバジリカ

ファティマの町はバジリカとその前に拡がる大きな広場が中心になっています。

歴史的な見どころはこのバジリカのみですが、このファティマには大変有名な伝説が残されています。

第1次世界大戦中の1917年、このファティマの地で、3人の子ども達の前に聖母マリアが出現するという奇跡が起きたのです。

それをきっかけに、当時はオリーブの木が点在しているだけの荒れ地だったこの場所に、荘厳な教会が建設され、今やカトリックの聖地になっています。

 バジリカ

ファティマ

巨大な広場を前に、65mの塔を持つネオ・クラシック様式のバジリカがそびえ立っています。

30万人以上を収容できるという巨大な大広場は圧巻でしたが、到着時はものすごい雨と霧で全景わからず。

ファティマ

帰る頃に少しずつ霧がはけてきたので、ようやく全景が見えたという状況でした。

この大広場では毎月13日に信者たちの集まりがあり、特に5月10月の大祭には10万人もの巡礼者たちで埋め尽くされるといいます。

大広場の中央にはキリスト像があり、その足元に湧き出ている泉は飲むこともできます。

ファティマ

バジリカに向かって左側にある「出現の礼拝堂」と呼ばれる白い教会は、聖母が現れた場所とされており、多くの信者が祈りを捧げていました。

また、バジリカの内部には、奇跡を目撃したという3人のうちの2人、フランシスコとヤシンタの墓があります。

ファティマ

バジリカの方向に向かって前ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世の像、それ以外にもPAULOⅥと刻まれた銅像がありましたが、歴代法王なのでしょうか…。

ファティマ
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沢木耕太郎「深夜特急」に憧れて

さて、この翌日は、今回のポルトガルの旅でのもう一つの大きな目的、ユーラシア大陸の最西端、最果ての地「ロカ岬」を目指します。

大沢たかお主演でドラマ化もされた、作家・沢木耕太郎による紀行小説「深夜特急」を見て以来、この地へ行くことが憧れのようになっていました。

インドのデリーから、イギリスのロンドンまでを、路線バスや高速バスだけを使って一人旅をするという、紀行小説です。

当時、TVドラマ「星の金貨」がブームとなっていて、そのブームに乗っかって大沢たかおさんが大好き!だった sora は、大沢さんが主演したこのドラマをたまたま、見たというのが成り行きなのですが、これがまた旅好きには嵌らないわけないよね、という…。

主人公、会社員の「私」が旅する物語ですが、これは作者の沢木耕太郎氏ご本人の旅行体験に基づいています。

旅を続ける中で、様々な人々と出会い、放浪の旅ならではの事件に遭遇しながら、ひとりロンドンを目指します。

この紀行小説は、日本で80~90年代の個人旅行ブームを生み出した、バックパッカーたちのバイブル的存在でしたね。

Wikipedia より引用

「深夜特急」の行程

香港(イギリス領 ※当時)
1974年春。デリーへの航空券のストップ・オーバーで、香港に寄る。香港は毎日が祭りのようだった。

マカオ(ポルトガル領 ※当時)
香港から船で1時間でマカオ。サイコロ博奕をしてみる。しかし100ドルすり、200ドルすり …

バンコク(タイ)
バンコクは東京や香港以上にけたたましい街だった。しかし何日歩いても、バンコクという街が捉えられない。

ペナン(マレーシア)
鉄道でマレーシアへ。泊まったのは娼婦館。6組の陽気な娼婦とそのヒモたち。

シンガポール
白人旅行者と話す。旅は半年で終える必要はないのだ。シンガポールは香港ではないと悟る。

カルカッタ(インド)※2001年にコルカタに改称
デリー着の航空券をカルカッタ着に変えてもらった。私は香港以来の熱狂にみまわれた。カルカッタにはすべてがあった。

ブッダガヤ(インド)
静かな農村の聖地。日本寺に泊まり、アシュラム(孤児院)で暮らす。

カトマンズ(ネパール)
滞在費はインドよりさらに安いが、雨が続く。部屋でぼんやりする時間が増えていく。

ベナレス(インド)
ヒンドゥー教徒の聖地。ここは無数の死に取り囲まれている。

デリー(インド)
春に日本を出て、もう秋になっていた。デリーから抜け出さなければ。最初の計画のように、バスだけでロンドンへ。

ペシャワール(パキスタン)
パキスタンとは、なんと明るい国なのだろう。パキスタンのバスのスピードは、世界の乗り物の中でもこれほど恐ろしいものはない。

カブール(アフガニスタン)
ラマダンが終わり、みな晴れやかな顔をしている。寒さで動く事が億劫になり、数週滞在。

テヘラン(イラン)
10数ヶ国人が乗るヒッピーバスで、国境から3日かけてテヘランへ。テヘランは大都会だ。知人の磯崎夫婦と再会。

アンカラ(トルコ)
トルコ人女性へ、磯崎夫人からの手紙をあずかっていた。使者役をし、満足し、アンカラを去る。

イスタンブール(トルコ)
久しぶりの魚料理。日本に近づいている気さえする。食事に不自由しない、居心地のいい町。

アテネ(ギリシャ)
橋を渡ればギリシャ、ヨーロッパだ。茶の国からコーヒーの国へ。アクロポリスの丘で生きていたのは野良猫だけだった。

ローマ(イタリア)
ローカルバスを乗りついでローマへ。ヴァチカンのピエタは、手を伸ばせば触れられる距離に置いてある。※現在は近づけない。

マルセーユ(フランス)
パリへ行けば旅はほぼ終了だ。しかし、私にはここが旅の終わりだということがどうしても納得できない。それでスペインへ。

マドリード(スペイン)
バルで酒を楽しんだり、ピンボール・ゲームをしたり。いったい俺はこんなところで何をしているのだろう。

リスボン、サグレス(ポルトガル)
ここはユーラシアの西端だ。大西洋を見て思う。私はここに来るために長い旅を続けてきたのではないだろうか。

パリ(フランス)
パリは暮らしやすかった。美しい町並み。年末年始を過ごす。そろそろ行こう。ロンドンへ。

ロンドン(イギリス)
ロンドン到着の電報を日本に打ったら旅は終わりだ。中央郵便局を探す。ところが…

この小説のような旅は sora には難しいですが、後半トルコ~ヨーロッパ辺りは、小説の中で主人公が訪れた場所へ行き、実際にそこに立つ!といういくつかの夢を叶えました。

そのうちのひとつが、ヨーロッパ最西端の地、ロカ岬です。

小説もドラマも、もうかなり古くなりましたが、旅好きな人にはとても楽しい作品だと思いますので、もし興味があればぜひ読んで(観て)みてください!

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次回に続く

さて、ポルトガル2日目も結局、雨・雨・雨。(苦笑)

いつになったら太陽を拝めるのだろうと、少々フラストレーションが溜まってきた2日目でしたが…

でも、中学からカソリック系の学校に通っていた sora はその頃からこのファティマの奇跡には興味を持っていて、いつかはこの場所へ行ってみたいと思っていたので、だだっ広いバジリカ前の大広場の前に立った時には大感動でした。

因みに、お天気さえ良ければ…

バターリャ

こんな美しい風景が見られるようです。(笑)

そして現実はこちら。

ファティマ

でも、こうして晴天の参考資料見ていると、雨と霧に包まれたファティマ、バジリカの方がなんとなく雰囲気ありますね。www

さぁ、明日はロカ岬へ向かう旅です!