MONOLOGUE
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ポルトガル

ポルトガルを旅する【5】ヨーロッパ西の果てを目指し一路シントラへの巻

シントラ

1日目は、2日目も、そして3日目の朝。

ずっとグレーの一色に染まっていた空に、少しだけ青い色が顔を出しまし、「やっと傘をささずに観光できるかも!」と期待が膨らむ朝を迎えました。

あまりの感動に、思わずカメラを取り出し、ホテルの窓から何でもない空の写真をパチリ。

ホテルの朝

あんなに「晴れてきた~!」と喜んでいたのに、あとからこうして写真を見返してみれば、実はこんなに曇っていたという … ね。(笑)

なんでも「気持ち」次第と言うことか。

ポルトガル鉄道でシントラへ

さて今日は、いよいよユーラシア大陸最西端、ロカ岬へ向かいます。

まずは、リスボンの中心部に位置するロシオ駅からポルトガル鉄道でシントラへ。

そこからロカ岬へはバスで向かい、その後はバスでカスカイスの町へ抜けて、最後は鉄道で、リスボンの南に位置するカイス・ド・ソドレ駅に戻って来るルートです。

今日は予定びっしりのスケジュールなので、早めのスタートです。

ホテルの朝食はオープン早々朝7時に済ませ、8時にはホテルを出発しました。

朝食

ホテルの玄関を出ると、町はまだ人もまばらな静けさ。

日本で朝8時といえば、通勤の人々で溢れかえっている時間ですが、ここリスボンの朝は静かでした~。

久しぶりに、というか … ポルトガルへ来て初めての「傘いらず」な朝。

嬉しくて町の風景をパチリ。

ホテル周辺

ホテルは大通りに面していて、裏向かいには巨大なカジノがありました。

オリエンテからロシオ、そしてシントラへ

今日の旅の起点はポルトガル鉄道&地下鉄の複合駅、オリエンテ駅です。

オリエンテ駅

ここオリエンテは、かつてリスボン万博が開催された場所で、駅周辺には万博跡地に整備された国際公園や、大型ショッピングセンターなどの設備が充実しています。

ショッピングセンターには大型スーパーマーケットファストフードコーナーファッションや日用品も揃うお店が充実していて、しかもオリエンテ駅とは直結しているので、とても便利です。

このオリエンテ駅から、シントラへ向かうポルトガル鉄道の出発駅であるロシオ駅までは地下鉄で向かいます。

 ロシオ広場

せっかくなのでロシオ駅に着いたら、ロシオ広場に寄り道。

ロシオ広場

この広場の正式名称は「ドン・ペドロ4世広場」といいますが、地元の人々にはロシオ広場の愛称で親しまれています。

中央広場の塔の上から見下ろしているのが、初代ブラジル国王となったドン・ペドロ4世です。

広場の見学を終え、ポルトガル鉄道のロシオ駅へ向かったわけですが、駅は丘の上にあって少々わかりにくく、時間のロスとなってしまい、呑気にロシオ広場を観光している場合ではありませんでしたね…。(笑)

ロシオ駅

観た感じ大きな駅ですが、駅の出発モニターを見てみると、全部がシントラ行き

いわゆる地元のローカル線と言った感じです。

ここからポルトガル鉄道に乗って、いざ、今日最初の目的地シントラへ!

ポルトガル鉄道

ポルトガルの鉄道は、もっとクラシックなものをイメージしていましたが、地下鉄も含め、どの列車も近代的で、車内も綺麗でした。

でも、左の写真で分かるように、落書きされちゃってます… こういうのを見ると、やはり日本はまだまだ秩序が保たれているんだな~と感じますよね。

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バイロンが「この世のエデン」と称えたシントラ

シントラ

シンドラは、すでに11世紀にはアラブ人の地理学者であるアル・バクルによる記述が残っているという古い歴史を持った町です。

詩人のバイロンはこの町を「エデンの園」と称賛したというほど美しい景観でも有名です。

町の見どころは何と言っても7~8世紀ごろにムーア人によって建設されたという「ムーアの城」の跡。

1147年にシントラがポルトガルに併合されたときに、町の大部分の城砦は破壊されてしまいました。

このシントラの宮殿群城跡を含む文化財は「シントラの文化的景観」として、1995年に世界遺産に登録されています。

地元の人々の親切に助けられたシントラ観光

シントラ

朝は雲の切れ間に青空が見えるお天気に浮かれていた sora たちでしたが、シントラに到着したときにはまさかの雨!

どこまで雨女伝説は続いていくのでしょうか…。

若干テンションが下がり気味ではありましたが、小雨の降る中、最初の目的地である「ムーアの城跡」へ向かうバス停を探します。

幸いにも駅舎を出たすぐの場所にバス停を発見。

下調べ通りのタイムテーブルで、ほどよい待ち時間。

シーズンオフだったとはいえ、バスは始発のシントラ駅から満員で、立っている人がいる状態でした。

シントラ駅から城跡までは15分ほど。

その15分間に、バスは細い山道をときには切り返しをしながらグングン上がって行きます。

この先の停車は残すところムーアの城跡と終着のペナ宮殿のみとなったので、どこでバスが止まるのかと待ち構えていた sora と友人。

やがてバスが停車し、運転手さんが何やら大きな声で叫びました。

すると女の子2人がバスを降りて行ったので、sora たちも「ここなんじゃない?」と慌てて開いていたバスの後部扉から降りました。

そしてそれに続いて日本人らしき男子も降りてきました。

降りたその場でキョロキョロしていると、ふたたび背後から叫び声が。

振り返ると、前の扉から降りてきたバスの運転手さんが私たちに向かって「バスに戻れ!」のジェスチャーをしているではないですか。

これは何ごと!?

どうやら先に降りて行った女の子たちは、どこか別の場所へ向かうために特別にバスを止めてもらったようで、ムーアの城跡はもっともっと山を上った先。

バス停じゃないところで慌てて降りていく日本人3人… そりゃ運転手さん、必死で呼び戻すわけですよね。(笑)

sora たちに続いて、もう一人の男子もそそくさとバスに戻ったのでした…。

で、まだここで話は終わりません。

無事にムーアの城跡に到着したものの、天気は相変わらずどんよりしていて雨が降ったり止んだり。

こんな状況でムーアの山へ入っていくのは無謀かな~と内心思いつつ、とりあえずチケットを購入するために案内所へ。

後で見学する予定だったペナ宮殿との共通券を購入したところ、案内所のお姉さんから「いまムーアに入っても何も見えないから、先に上のペナ宮殿を見てから戻ってきた方がいい」とのアドバイス。

ですよねぇ…。

だったら、最初からバスで一気に上のペナ宮殿まで行くんだった。(笑)

あえてムーアを先にしたのは、日差しの向きが午前中の方が美しいという情報があったからなのですが、たしかにこの霧の中では無意味。

こうして、sora たちは、わざわざペナ城より下にあるバス停で降り、チケットだけを買ってペナ宮殿までの山道を歩いて上り、ペナ宮殿の見学後に再び同じ道を下ってムーアの城跡まで戻るという、時間のムダ使いをしたのでした…。

写真では幻想的で美しく、足元も歩きやすそうに見えるこの山道。

ペナ宮殿

実はとんでもなく歩きにくい。(笑)

平らな石ではなく、ボコボコと凹凸のある石が敷き詰められているうえに、石と石の間にけっこう広い溝があるので、長時間歩いていると足の裏がかなりイタイ。

でも、その苦労の甲斐あって、ムーアに戻って来る頃には雨も上がり、見事な青空が!!

ポルトガルに来て初めての青空が、ようやく拝めたのです!

間違えてバスを降りても、途中の山道に sora たちを放置せず呼び戻してくれたバスの運転手さん、天候の変化を先読みして観光のアドバイスをくれた案内所のお姉さん、ありがとう!!

ポルトガル、なんて親切な人々なんでしょう♡

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ペナ宮殿に到着!え、さらに上なの?

シントラ駅からは市バスで途中「ムーアの城跡」を通り過ぎ、終着地ペナ宮殿の入り口です。

sora たちは結局、ムーア城跡のバス停から山道をとぼとぼ上り、宮殿の入口へ到着。

「やっと入り口に着いた~!」と喜んだのもつかの間。

そこは宮殿の敷地内ではあるものの、実際の宮殿までは更に上へ上らなければならなかったのです。

いや、もう無理だから。(笑)

そこで登場するのがペナ宮殿のバスです。

ペナ宮殿

敷地の入り口から宮殿の入り口まで、数分で運んでくれるというありがた~いバス。

もちろん徒歩で宮殿まで上っていくこともできますが、すでにムーアの城跡から歩いて上ってきた sora たちに「歩いて上る」という選択肢は一切ありません!(笑)

バスに乗ることを即断し、楽々宮殿へと向かったのでした。

 ペナ宮殿

世界遺産

ペナ宮殿

このペナ宮殿は、イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルなどの各様式を寄せ集めた造りになっています。

ペナ宮殿

建築を命じたのはドイツのかの有名な「ノイシュヴァンシュタイン城」の建築を命じた、ルートヴィヒ二世の従妹、フェルディナンド二世。

ペナ宮殿

ドイツから建築家を呼び寄せ、1885年に完成しました。

ペナ宮殿

1908年に暗殺されたカルロス1世と、王妃アメリアは、ほどんどをこの宮殿で過ごしていたといいます。

ペナ宮殿

きらびやかな宮殿ではありませんが、いろいろな様式の寄せ集めというだけあって、建物自体の見ごたえは十分。

ペナ宮殿

宮殿を見学している間にすっかり雨もやみ、徐々にお天気が回復、良い感じになってきました。

ペナ宮殿

そして、うっすら日差しが!

まだどんよりはしていましたが、山頂に位置しているこの宮殿からは360℃の大パノラマを楽しむことができます。

ペナ宮殿

この後に、再び山を下って向かう予定の「ムーアの城跡」の全景も見えていました。

ペナ宮殿

こうして見ると、どれだけの道のりを上ってきたんだろう!?と。

すごい距離に見えるんですけど…。

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そして再び山を下り、ムーアの城跡へ

ペナ宮殿からは、ひたすら徒歩で山道を下り、ムーアの城跡へ向かうことに。

ムーアへ向かう途中、すっかりお天気が回復、見事な青空が広がり、振り返ると先ほどまでいたペナ宮殿が青空に浮かんでいました。

ペナ宮殿

こんな青空に出会えるなんて、もはや「感動!」の域です。(笑)

バス通り沿いの「ムーアの城」入り口から10分ほど山中に作られた遊歩道を進むと、目の前に城壁が現れます。

 ムーアの城跡

世界遺産
ムーアの城

このムーアの城は、7~8世紀ごろにムーア人によって築かれたとされています。

ムーアの城

1147年、アフォンソ・エンリケス王によって落城し、その後修復されたものの、現在は廃墟となっています。

万里の長城の縮小版みたいに、城壁が続いていました。

ムーアの城

廃墟ではありますが、思いのほか城壁が残っている印象を受けました。

そして、広い!

城壁沿いにぐるりと歩けるようになっているのですが、やたらと階段が多用されていて、頂上にたどり着くまでにヘロヘロ…。

ムーアの城

でも、そこからの景色は素晴らしく、キツイ思いをしてでも一見の価値はあります!

シントラの町も一望できます。

ムーアの城

ただ、城壁はとても狭く人がすれ違うのも困難なくらいなので、トップシーズンにはちょっと大変かもしれないですね。

シーズンオフで、数えるほどしか人と出会わなかったこの日ですら、人とすれ違うためには譲り合わないといけなかったので。

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シントラの町を足早に散策

シントラ

ペナ宮殿と、ムーアの城跡での観光が予定より大幅にタイムロスしてしまったため、せっかくの世界遺産の町、シントラをのんびり散策というわけにはいかなくなってしまいました。

シントラ

とりあえず、ガイドブックでチェックしていたシントラ銘菓「ケイジャーダー&トラヴセイロ」だけは絶対に買いたかったので、真っ先にお店へ向かい、無事にGET。

Queijada&Traveseiro
シントラ

ケイジャーダ(Queijada)とは、チーズを使ったお菓子のことで、ポルトガル各地に色々なケイジャーダがあるそうです。

なかでも、このシントラのケイジャーダがNo.1と言われているとか。

すでに13世紀には作られていたとの記録が残っている、伝統のお菓子です。

ケイジャーダはとても甘く、チーズ菓子とは言ってもチーズの風味はほとんどありません。

これは、塩蔵したフレッシュチーズを水に浸し、塩抜きしてから使用するためだそうです。

そしてシントラには、もうひとつ銘菓があります。

トラヴセイロ(Traveseiro)というパイ菓子で、中にはアーモンド入りのカスタードクリームが入っていて、表面にはグラニュー糖がたっぷりと振りかけられています。

トラブセイロ=枕という名前の通り、長方形の枕型をしていて、これもかなり甘いお菓子です。

シントラ

これらのシントラ銘菓を販売する有名店が、ピリキータ。

カフェスペースもありますが、とにかく時間がなかった sora たちは、それぞれのお菓子をひとつずつテイクアウトしました。

本当は温かいコーヒーと一緒にいただくと、味わいも違ったのでしょうが、結局、その後に訪れたロカ岬の観光を終えてから、次の目的地カスカイス行きのバスを待つ間に、外のベンチで慌ててかぶりついたという…ね。

ま、旅ではこんなことばかりです。(笑)

とにかく時間に追われていましたが、町の雰囲気だけでもと、まるで強歩かと思う勢いで歩き回り、シントラの町を味わってきました。(笑)

シントラ

この日のシントラの町はガラーンとしていて、ほとんど人もいませんでした。

少しずつまたお天気も崩れ始めていたので、なんだか少し寂しい雰囲気が漂っていた、そんなことを思い出します。

 シントラ宮殿(王宮)

世界遺産
シントラ宮殿

シントラ宮殿の歴史は、イスラム教徒がイベリア半島を支配していた時代から始まっています。

代々に渡り増改築が繰り返されてきたこの宮殿は、少なくとも15世紀初めから19世紀後半にかけてポルトガル王家が住み続けており、特に19世紀、カルロス1世の妃アメリアはシントラを愛し、いくつもの絵画を描いたと言います。

そして1910年、共和国の樹立と同時に宮殿は国の文化財となりました。

ポルトガル国内で最も保存状態の良い王宮であり、現在はシントラの文化的景観の一部として、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

 ムーアの泉

シントラJose da Fonseca によって1922年に建築されたとされています。

かつては飲み水としても使用されていたようです。

なにかご利益でもあるのか、その歴史的背景はわかりませんが、建物のデザインが素晴らしい!

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世界遺産の町から、いざ、ロカ岬へ!

シントラでの観光を終え、いよいよ次に向かうはユーラシア大陸の最西端、ロカ岬です。

ロカ岬へはバスで向かいます。

町の中心部からバス停を目指して、またまた、歩きます。

3日目の観光は、ひたすら歩いてますね。(笑)

シントラ

でも、バス停へ向かう道のりも、様々な風景が目に飛び込んできて、思わずカメラを構えてしまうことが何度もありました。

シントラ

さすがは世界遺産の町並みですね。

どこを見ても絵になります。

シントラ

が、ムーアの城跡では真っ青だった空は、ふたたびグレーに染まってきました。

このままお天気が崩れなければ良いのですが…。

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次回に続く

町の中心部からバス停までは一本道。

まっすぐ歩いて行けば辿り着く… はずだったのですが、なぜか迷った。(笑)

でもなんとか、想定していた時間のバスには乗車できてひと安心。

いよいよ念願のロカ岬が目の前に近づいてきて、ワクワクMAX!!

ただ、お天気がちょっと心配。

さてはて、とうなることやら。

次回へ続く。