2009年に宝塚歌劇で舞台化された『コインブラ物語』。
ポルトガルのコインブラを舞台に、ペデロ1世とイネスの悲恋を描いた物語です。
この物語ゆかりの地を訪ねるこになったのをきっかけに、二人の悲恋物語を詳しく調べたことがあります。
ちょうどポルトガルの旅行記を執筆しているので、この『コインブラ物語』の題材になった悲恋物語を詳しく紹介します。
悲恋物語の第1章
ペドロ王とイネス、運命の出会い
ポルトガル建国から2世紀が過ぎた14世紀の半ば、7代目の王アフォンソ4世は王位継承者である息子のペドロ王子に、政治的な配慮から、カスティーリャからコンスタンス姫を迎えるよう取り計らいました。
しかし、ペドロ王子はコンスタンス姫ではなく、姫の侍女イネス・デ・カストロに心を奪われてしまいます。
ペドロ王子とコンスタンス姫はそのまま政略結婚しますが、イネスに心を奪われてしまったペドロ王子は正妻コンスタンスをかえりみなかったといいます。

イネス・デ・カストロは美しい金髪で、澄んだ瞳、白鳥のように優雅な首を持っていたと言い伝えられています。
父アルフォンソ4世は、イネスにおぼれて公務をないがしろにする息子を憂慮し、ペドロ王子にイネスとの関係を絶つよう進言しますが、そう簡単には受け入れるわけがありません。
二人の不倫はやがて人々の知るところになっていきます。
そこで、父アルフォンソ4世は、イネスを遠く離れた costelo de Alburuqueruque に送ってしまいます。
しかし、二人の恋の行方はあらぬ方向へと進んで行くのでした。
正妻コンスタンスの死、運命の歯車が狂い始める
父アルフォンソ4世によって二人が引き裂かれた翌年、ペドロ王子と正妻コンスタンスの間に第1子(のちのフェルナンド国王)が誕生しました。
しかし、この出産直後にコンスタンスは23歳の若さで亡くなってしまったのです。
妻の死を嘆くどころか、自由になったペドロは早々にイネスを自分のもとに呼び戻し、一緒に暮らし始めてしまいます。
そしてイネスとの間に3人の子供までもうけました。
当然ながら、これが大きなスキャンダルとなり、父アルフォンソ4世とペドロ王子との間に大きな溝ができてしまいます。
ちょうどこの頃、カスティーリャ王国内に紛争が起こり、イネスの元に兄や同派の人々が集まるようになり、やがて、それがペドロ王子の思想にも大きく影響を与えるようになっていきました。
一方、宮廷内では、イネスと繋がるカスティーリャ王国の内紛に巻き込まれはしないか、正妻コンスタンスとの間に生まれた正当なお世継ぎであるフェルナンドの暗殺への警戒、イネスの子どもたちとの家督問題など、イネスを取り巻く不信や不満が渦巻き、早急な対策が必要な状況でした。
イネスの処刑
アルフォンソ4世は、国の安泰のためにはやむを得ず、側近たちの意見を聞き入れ、ついにイネスの処刑の命を下します。
ペドロ王子が狩りで留守にしている間に、当時ペドロ王子とイネスの二人が暮らしていた、コインブラのサンタクララ小宮殿へ3人の処刑執行人を伴って出向きました。
アルフォンソ4世を前にしたイネスは、子どもたちのために自分を殺さないよう懇願しますが、アルフォンソ4世は処刑執行人に「あとは任せる」と言い残してその場を去ったといいます。
そしてイネスは、その願い叶わず、その場で首をはねられました。
伝説では、このときイネスが流した涙が、コインブラの町を流れるモンデーゴを溢れさせ、「愛の泉」ができ、そこの赤い藻は、イネスから流れた血液でできたと言われています。

コインブラに残る愛の泉
第2章へと続く悲恋物語
王位についたペドロがしたこと

イネスの死を知ったペドロ王子は激高し、父アルフォンソ4世に対して2度も反乱を試みますが、母后の取り計らいにより父子は和解しました。
しかし、この悲恋物語にはまだ続きがあります。
イネスの死から2年後、王位についたペドロ1世から驚きの発言が飛び出したのです。
「実は私はすでに秘密裏にイネスと正式に結婚していた。従って、イネスが王妃である。」
これは、心から愛したイネスを、「ポルトガル王妃」として人々の記憶に残しておきたいというペデロ1世の切ない想いであると同時に、愛する人を殺された復讐心もあったかも知れません。
さらに驚いたことに、ペドロ1世は墓地からイネスの遺体を掘り起こして戴冠させ、家臣たちには「ポルトガル王妃への礼節をとるように」と、イネスの遺体の前に膝まづき手を取ってキスするよう要求したといいます。
そして、イネスを処刑した執行人3人を決して許さず、王位に就いてすぐ、国外逃亡していたそのうちの2人を捕らえ、自らの前で一人は胸から、一人は背中からその心臓をえぐり出したと言い伝えられています。
残りのもう一人は、自殺に追いやられたのだとか。
残酷王の最後は、イネスとともに
こうした出来事から、ペデロ王は「残酷王」「復讐王」などと、あまり好ましくない称号を与えられたペドロ1世でしたが、自らの死に備え、イネスと自分の棺を作らせていました。
この棺は、現在アルコバサの「アルコバサ修道院」に安置されています。
二人の棺は、足を内側に向き合って置かれており、これはペドロ1世の「二人が再び目覚め、起き上がったとき、最初にお互いの顔が見られるように」との願いが込められている。
イネスを失ったのちのペドロ1世は愛人を持ちはしましたが、結婚することはなく、生涯を独身で過ごしました。
まとめ
今回は『コインブラ物語』の土台となった悲恋物語を詳しく紹介しました。
この悲恋物語は日本だけでなく、世界各国で様々な形で語り継がれているようで、コインブラのホテルにたくさん紹介されていました。
なんと宝塚のポスターも飾られていました。
こんな遠く離れた異国で、まさか宝塚に出会うなんて驚きでした。
歴史を訪ねる旅、皆さまもいかがでしょうか。