青春18きっぷの旅、1日目は東京からどこにも立ち寄ることなくまっすぐ倉敷へ直行。
多少のJR遅延があったものの、大きなトラブルもなく無事に電車を乗り継ぎ宿泊ホテルに到着することができました。
「青春18きっぷ」を利用して中国・九州を旅する8日間。 初日は観光する予定は入れず、ひたすら西へ西へと進んで岡山県の倉敷へ向かいます。 早朝の出発に向けて、しっかり2日前から睡眠調整を試みたものの見事に失敗し、前夜はまったく寝付[…]
倉敷では、ホテルからほど近い「美観地区」の夜のライトアップを楽しみにしていたのですが、ライトアップというような状況ではなく、通常の街灯が点いているだけといった感じでちょっと残念でしたね。
そして2日目は、倉敷から下関までの道のりです。
倉敷の朝はゆったり➡そして結局ドタバタ(笑)
この日は早朝から倉敷の明るい「美観地区」散策から1日がスタートしました。
それから広島へ向かい、宮島の嚴島神社を見学したのち、宿泊地である下関までが今日のスケジュール。
今日も長い一日になりそうです。
旅の朝はいつも超早い …
あらかじめ東京を出発する前に計画していたスケジュールとしては、AM8時~10時くらいの2時間を倉敷散策に充てていたのですが、昨夜、ざっくり散策した感覚からそんなにも時間を取らなくてもいいかなと思い、夜のうちに計画変更。
頑張って7時ごろから美観地区を散策して、8時には倉敷を出発しちゃおう!となりました。
なんせ美観地区はホテルから徒歩3分の距離だったので、とりあえず早朝にカメラだけを手に川辺を散策して、いったんホテルに戻ってチェックアウトすれば良かったのが便利でしたね。
とはいえ、前日の東京出発の際にもAM5時45分には東京駅に到着していて、朝というより深夜に起きての準備だたし、14時間の電車移動中もほとんど寝ていなかったから結構な睡眠不足。
この日もベッドに入ったのはすでに24時を回る頃。
はたして早朝、ちゃんと起きられるか心配だったのですが、、、旅行中って不思議と目が覚めるんですよね。
いつもは目覚まし「3つ」かけて、スヌーズ機能もオンにして、さらにテレビのおはようタイマーもかけているそーとーヤバイ私なので(笑)、この日もスマホのアラームを4段階にセットして万全を期したわけですが、、、あら不思議、1回目のアラームで起き上がることができました!
早朝の美観地区は静かで風情たっぷり
ちゃんと起きられた安心感で、ちょっとばかり余裕をかましてゆっくり朝の準備をしていたために、目標にしていた7時よりは少し遅くなりましたが、それでも7時15分くらいには美観地区に到着。
昨夜も人はまばらでしたが、この日も平日の朝のこの時間にはすれ違う人も数えるほど。
余裕のチェックアウトのはずだったのに …
ほぼ観光客のいない中での散策は、写真撮影の際の「人の通過待ち」もなくストレスフリーです。
好きなだけ写真を取りまくり、それでも、15分かからずな感じ。
7時半頃にはホテルに戻り、さて、何分の電車に乗れるかな?とスマホで時間をチェックしたところ、、、直近の倉敷発が7時52分。
うーん、間に合わなくはないけど急がないときついな。
次の電車は … と、8時43分、え、ほぼ1時間後ってこと!?
うそでしょ。
駅までは普通に歩いて10分弱。
手元の時計を見るとただいま7時35分。
今からトイレを済ませて、チェックアウトして、、、うーん、ダッシュすればなんとかなるかも。
いや、何とかするしかない!
さ~ここから、超・ダッシュ!!です。(笑)
幸いなことにホテルから駅までは、ほぼ一直線でまっすぐ進むだけだったので、ひたすら走る!走る!ひた走る!
駅に到着したのは7時50分。
改札で切符に証明印押してもらって、ホームに辿り着いたのが7時51分。
汗だくになってゼーゼー言いながらも、どーにかこーにか間に合いました。
朝っぱらから思いやられます。(笑)
時間的には平日の通勤時間でしたが、通勤の混雑らしきものはほぼ感じることなく、座ることができたのは幸いでした。
倉敷 ➡ 糸崎、まさかの乗り換え50分待ち
なんとか1時間を無駄にすることなく倉敷を出発したわけですが、ここであらためて乗り換え検索を確認して気付いてしまいました。
途中の乗換駅「糸崎駅」で、なんと50分待ち。
めちゃめちゃダッシュして電車に乗ったのに、50分待ちなの!?って。(笑)
そしてさらに気づいてしまったんですよね~。
まさかと思いつつ、倉敷で次の8時43分に乗っていたとしたら、、、
ほらね。
結局、糸崎駅で同じ電車に乗り換えじゃんっ!!!という顛末でしたぁ~。
あのダッシュした体力と噴き出した汗を返してくれ、な気持ち。(笑)
どーせ50分もあるなら駅の外に出て海でも見られないかな、、、と開き直り気味に地図を見てみたのですが、ちょっと距離がありそう。
でもせっかくだから30分でもいいから周辺を散策してみようかなとか、コインロッカーとかないのかなとか、いろいろ思いを巡らせながら糸崎への到着を待ちました。
倉敷から糸崎までは約70分。
スマホで調べた駅情報によると、ただいま糸崎駅は「いつもより若干混んでいる」との表示が出ていたので、それなりの規模の駅を想像していたのですが、、、
到着したのは、、、閑散として静まり返ったローカル駅。
閑散としているのはいいとして、致命的だったのは改札へのルートが「階段のみ」だったこと。
スーツケースを持っていなければ、元気に階段を上って改札を出るのですが、さすがにあさイチ、ホテルから倉敷駅までスーツケース転がしてダッシュした50代には、わずか50分のためにスーツケースを持って上り下りするガッツはなく。
駅に到着した瞬間、駅周辺散策の野望は消滅しました。(苦笑)
とりあえず、ホームのベンチでボーっと鋭気を養うことに。
たぶん、同じような旅人が数人いて、みんなベンチでゆ~くりしていました。
目の前に広がるだだっ広い空間、そして聞こえてくるのはセミの声だけ、、、
これぞ「旅してるよね~私!」って気分を存分に味わえる雰囲気でしたよ。(笑)
猛暑でも嚴島神社は観光客でいっぱい
糸崎での思わぬ「癒しタイム」を過ごし、待つこと50分。
次なるはこの駅始発の岩国行の電車に乗って、広島・宮島へ向かいます。
糸崎(始発)➡ 宮島口
糸崎駅が始発のため、少し早めにホームに入ってきた電車に乗り込み出発を待っていると、向かいのホームには倉敷を8時43分に出発してきた、後続の電車がギリギリ1分前くらいに到着しました。
私が乗ってきた7時52分発の電車は、この糸崎まで乗って来る人は少なかったのですが、後続の電車が到着した時には大勢の人が下りてきてちょっとびっくり。
旅行者もまぁまぁいましたが、地元の人たちが多い印象でした。
乗り継ぎのタイミングに合わせて、乗客の数もかなり違うんですね。
この電車が糸崎に到着する前はスキスキだった岩国行の電車の座席は、乗り換え客が一気に押し寄せて満席状態になりました。
無理にダッシュして1本早い電車に乗った割には50分待ちのタイムロスとなりましたが、結果的にはこうして糸崎でゆったり過ごせて、余裕で次の電車で座席確保ができたので、ま、結果オーライってことでしょうかね。
糸崎から厳島神社のゲート駅となる宮島口までは、1時間50分の旅です。
途中、広島駅を通過する際にはかなり混雑していましたが、それ以外は比較的ゆったりローカルを味わうことができました。
宮島口からはフェリーで宮島へ
もともとの計画では13時半ごろに宮島口に到着予定だったところを、倉敷の出発を早めたおかげで糸崎での50分待ちがあっても午前中のうちに宮島口へ到着!
随分と気持ちにも余裕ができました。
宮島口の駅を出てすぐ左手側にコインロッカーとヤマトの荷物預かりがあります。
コインロッカーも沢山ありましたが、私は手軽なヤマトさんの荷物預かりを利用しました。
値段も500円、小型スーツケースが入るコインロッカーの利用料金と変わりませんので、わざわざコインロッカーを使うよりヤマトの利用をお勧めします。
ただ、荷物預かりは営業時間が決まっているため、朝早くだったり夕方以降遅い時間に利用する場合はコインロッカーになりますが。
私の場合は程よく日中の短時間だったので問題なく、ヤマトに直行。
荷物を預けたら、駅前の地下通路をくぐってフェリー乗り場へ向かいます。
ちなみにJRの宮島口の場合はこの地下通路をくぐって港へ向かいますが、「広島電鉄」の宮島口はフェリー乗り場の真ん前です。
ただ、広島駅から宮島口へはJRなら30分かからないところを広電だと1時間強かかるので、時間に余裕がある人向けですね。
嚴島神社のある宮島へ渡るフェリーは2つの会社が運航しています。
「JR宮島フェリー」と「宮島松大汽船フェリー」です。
お勧めはJR宮島フェリー。
青春18きっぷがそのまま使用できるのと、一定の繁忙時間帯には嚴島神社の鳥居近くを通って宮島へ向かう「大鳥居便」として運航されています。
18きっぷを使用しない場合は乗船券を購入しますが、交通系のICカードがそのまま使えるので便利ですね。
宮島へ渡る際には乗船料200円と宮島訪問税100円、合計300円かかります。
18きっぷを使用する場合は訪問税100円のチケットを券売機で買って、改札で係りの人に18きっぷを見せて訪問税チケットを渡します。
ここで気を付けたいのが、この訪問税のチケット購入。
「JR宮島フェリー」と「宮島松大汽船フェリー」それぞれに券売機が設置してあり、共通ではありません。
私はやらかしました。(笑)
横並び(右がJR、左が宮島松大汽船)の2社それぞれ、改札に向かって右側券売機が設置されていたのですが、私はなんの迷いもなく改札と改札の間にある券売機(つまり宮島松大汽船の券売機ね)で訪問税チケットを購入し、その右手にあるJRの改札へ。
係りの人に購入した訪問税チケットを渡そうとして、なにやら違和感。
私のチケットだけ色が違ったんですよね~。(笑)
案の定、係りの人に「これはうちのじゃないからね、こっちはJRのチケットを買ってもらわないとね」と。
宮島松大汽船さんの窓口に行けば払い戻しもしてもらえたみたいですが、船の出航時間も迫っていたのでとりあえず大慌てでJRの券売機に走り、もう一度チケットを購入したという、、、おっちょこちょい。
もし行かれる方がいらっしゃいましたら、お気を付けくださいな。
たかが100円、されど100円。
海から眺める大鳥居
乗船後は一目散にデッキへ向かい、大鳥居が見やすそうな場所をGet。
潮風に吹かれながら、カメラとスマホを握りしめ、徐々に大きくなってくる赤い鳥居を眺めていると、、、鳥居の下に小舟が。
鳥居の近くまで小舟で行けるツアーもあるんですね。
ちょいと写真への映り込みが残念でしたが。(笑)
そしてほどなく宮島の港に到着です。
ご覧の通りの雲ひとつない超・晴天。
暑いったらありゃしない。
宮島に到着早々「これは長居できないな …」と思い、足早に観光開始です。
現地はとっても賑わっているように思いましたが、観光客の数はたぶん、ベストシーズンからすればかなり少ないほうなんだと思います。
この暑さですからね、、、
ただ外国人観光客の数は多かったです。
特にそこら中から中国語や韓国語が聞こえてきていました。
それでも外国人観光客の2割くらいは欧米やオセアニアっぽかったかな。
テレビで見た風景が広がる嚴島神社
嚴島神社は、推古天皇元年(593年)に佐伯鞍職によって創建されました。
その後、平清盛が安芸守(あきのかみ)になったことによって嚴島神社を厚く信仰し、武士として初めて太政大臣となった清盛が仁安3年(1168年)頃、現在のような海上社殿を造営したと言われています。
1571年には毛利氏によって御本社本殿の改築や反橋、大鳥居の再建などの大規模修復が行われたそうです。
まずは平清盛さんがお出迎え。
海岸沿いを歩いていくと、たくさん鹿さんがいました。
この暑さなので、人間と同じで鹿たちもグッタリしている様子。
広島・宮島口から下関へは4時間の旅
倉敷を予定より早く出てきたので、宮島、嚴島神社の見学には少し時間の余裕がありましたが、何せ暑い!!
長居はできないとばかりに、早々に切り上げて再びフェリーで本土へ戻りました。
このフェリー、フェーリーというからには車やバイク、自転車も乗船できるのですが、私が本土に戻るために宮島から乗船する時、明らかに地元の学生さんらしき制服姿の女の子が自転車で颯爽と宮島に降りて行きました。
宮島に限ったことではないと思いますが、世界遺産に登録された場所には私たちのような観光客が大勢詰めかけますが、当たり前ながら、ここにも普通に生活があるんだな~とあらためて感じました。
人口1500人にも満たない小さな島に、国内外から年間300万人を超える参拝客や観光客が訪れるといいますから、世界遺産に登録されることが良いのか否か、、、島民の皆さんの生活を考えると難しい問題ですね。
さて、そんなことをぼんやり考えながら、広島を後にした私はいざ、下関へ!
停車中の電車内に鳴り響く「緊急地震速報」
宮島口から下関へは、岩国行きに乗って約30分、終点の岩国駅までいって、そこから始発の下関行に乗り換え3時間半程度の電車旅です。
この岩国駅から下関駅までの区間に乗車した電車が、今回の旅の中ではいちばんの「オンボロ電車」だったな。
車内は全く掃除されている気配なく、、、これで3時間半の長距離移動はさすがにちょっとテンション下がりました。(苦笑)
岩国からは乗り換えもなく、下関へ一直線。
そういえばこの辺りの車窓をボーっと眺めていて気付きましたが、やたらと貨物列車が多いな~って。
あと、沿線にソーラーパネルがたくさん設置されているな~って。
さらには、「平屋」が多いな~と。
もちろん2階建てのおうちのほうが割合的には圧倒的に多いのですが、平屋の数がとっても多いな、と。
ま、どうでもいいことなんですけど。(笑)
そんなことを思いながら、時刻は16時44分。
新山口で特急の通過待ちか何かで、しばらく駅に停車していたときでした。
突然ウィーン、ウィーーンというけたたましいサイレン音が電車内のあちらこちらで鳴り響き、その場が異様な空気に包まれました。
一瞬、何が起こっているのかわからなかったのですが、乗客各々が自分のスマホをを手に取り、状況を理解します。
緊急地震速報です。
乗客たちは少しだけざわつきましたが、誰も動揺した感じはなく、そしてその場で「揺れ」を感じることもなく、数分後に電車は何もなかったかのように「定刻」で新山口の駅を出発しました。
スマホで地震の情報を確認してみると、震源は九州の宮崎とのこと。
数日後には熊本から宮崎の高千穂峡まで足を延ばす予定でしたし、滞在予定の熊本エリアも震度4だったので、ちょっと心配になりつつ、、、
それからほどなく電車は無事、下関の駅に到着しました。
下関でしばしの散歩を楽しむ
下関の宿泊ホテルはほぼ駅前、歩いて3分ほどの便利な場所にありました。
今回の旅は前日の倉敷といい、この下関といい、のちの長崎、熊本も含め、ホテルの立地がとっても良くてどこも便利で有難かったな。
下関へは予定していた時刻より少し早めに到着できたので、ホテルにチェックインした後、荷物を置いてすぐに駅周辺の散策へ出かけることにしました。
下関の「厳島神社」
ここ下関は、駅周辺には大型ショッピングセンターなどがありましたが、駅から一歩離れてしまえば何もないといった印象。
そして驚いたのはコンビニが少なすぎる!!
たいていの町ではブラブラしていると目と鼻の先に何件ものコンビニに遭遇するのですが、下関駅周辺では「探さないと」コンビニに出うことができませんでした。
散歩がてらコンビニで買い物してホテルに戻ろうと考えていたのに、コンビニがないっ。
その代わり、下関駅がある建物内にスーパーマーケットがあったので、そこで買い物はできたのでよかったんだけど、、、。
さて、下関周辺の散策では、日が暮れる前までに「下関の」厳島神社へ行ってみることにしました。
治承・寿永の乱(源平合戦)の時代に、平家の守護神として安芸国の嚴島神社の分霊を安徳天皇が乗る御座船にまつっていましたが、壇ノ浦の戦い後、磯辺に放棄されていたそうです。
その後、地元の住民によって発見され、文治元年(1185年)に住民たちによって社殿が建立されました。
厳島神社の前の通りを挟んだ向かい側にも御社があるのですが、この御社、ちょいと独特な状態で立っています。
この奇妙な状況、わかりますか?
マンションの壁に突き刺さった状態で御社が立っているんですよね。
なんとも現代的と言いますか、、、住居の建設が優先されるんですねぇ~(苦笑)。
この部屋の住人、どんな気分なんだろう?って思っちゃいました。
自宅のベランダに神社の御社が突き刺さってるわけですから!
現地で初めて知った高杉晋作と下関
高杉晋作は、幕末に活躍した長州藩の武士。
1866年(慶応2年)の長州征伐と呼ばれる四境戦争に挑むに当たり、この下関の厳島神社で戦勝祈願を行ったとされています。
この神社へ行って偶然、「高杉晋作、療養の地」という案内看板を見つけて、その関係性を初めて知りました。
神社の境内から案内を頼りに歩いていくと、、、テキスト
階段や結構な坂を上がっていくと、道の途中、高杉氏が亡くなる直前まで過ごしたという「療養の地」の記念プレートが掲げられた場所がありました。
プレートには療養中に詠まれた漢詩も刻まれていました。
ただ、この場所ずばりが療養の地であったわけではなく、もう少し上に上っていた場所にあったと書かれています。
倒幕運動で名を遺した高杉晋作ですが、彼の人生はわずか27年と8か月という短い生涯でした。
蝉の鳴き声しか聞こえない、静かな住宅地の狭い通りに佇みながら、遠い遠い昔の人々に思いを馳せながら、、、その後ふたたび来た道を戻り、下関駅の周辺までのお散歩。
夕方の下関駅の周辺は閑散と …
このとき18時ちょっと過ぎたくらいだったでしょうか、、、
まだ日も暮れる前で明るい時間帯でしたが、下関の町はシーーーンとした雰囲気が漂っていました。
私がマイナーな通りを選んで歩いていたからというのもあると思いますが、駅からほどない距離の場所なのに、ビックリするくらい人がいない。(笑)
シャッター商店街のようになっていましたが、これは単純に閉店時間が早くてお店が閉まってしまった後なのか、いわゆるシャッター商店街なのか、それすれも想像がつかないこの雰囲気。
そりゃコンビニもないよね、って思わされる光景。www
ちなみに下関駅前はこんな感じでした。
駅ビル周辺だけが妙に存在感を見せています!(笑)
この駅舎自身も外見ほど大きくはなかったですが、改札を出てすぐのところにロッカーも沢山設置されていて、旅行者にはありがたかったです。
まとめ
2日目も無事に予定通り、下関まで到着。
行く先々の町では、意外なほど「観光客少な目」という印象だったのは、猛暑が影響しているんでしょうか 。
さて明日は、午前中に下関界隈を観光してから九州・長崎まで移動する予定です。
天気予報は晴れ。
また暑い1日になりそうです。
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