この記事は2023年9月10日に公開した記事の再編版です
1989年夏。
当時、人気絶頂だったスーパーアイドル田原俊彦、トシちゃんが大好きな女子大生だった私。
トシちゃんのデビュー10周年を記念して開催された『ロンドン&パリ』ツアーに参加しました。
そのときの思い出を皆さまと共有すべく、以前、手元に残していた旅のエッセイを記事にしましたが、のちに記事の整理をしたときに削除してしまいました。
ところが、思いがけずトシちゃんファンの読者の方から、その記事を惜しむ声をいただきまして。。。
若かりし日のトシちゃんと過ごしたロンドン・パリでの思い出を再執筆、全5回に渡ってお届けします。
今回はその4回目をお届けします。
この旅で唯一トシちゃんに会えなかった日
ロンドンに到着した初日、夜遅かったにもかかわらず滞在ホテルにトシちゃんが来てくれて1時間の座談会が実現。
翌日は朝から記念撮影でトシちゃんに会えて。
そして夜にはロンドン繁華街の巨大ディスコを借り切ってのディスコ・ナイト!
ずーーーっとトシちゃんの近くに居られるという奇跡。
で、3日目のこの日はいよいよパリへ。
このツアーで現地に着いてから、初めてトシちゃんに会えない1日。
ある意味、貴重な「観光オンリー」Dayです。
もちろん観光中でも参加者たちの話題は「トシちゃん」「トシちゃん」「トシちゃん」でしたけど。(笑)
いざ、パリへ!
ロンドンでのディス・コナイトで盛り上がった翌朝、短いイギリスでの滞在を終えてフランス、パリへと出発です。
ロンドンからパリへは、飛行機での移動でした。
いまでこそ高速鉄道「ユーロスター」がロンドン=パリを繋いでいますが、ユーロスターが開通したのは1994年のこと。
TOSHIツアーが開催された1989年当時は、まだ飛行機かフェリーでの移動手段しかなかったわけです。
いや~なんだかめちゃめちゃ古い時代を生きた人みたいな感覚になりますね。(笑)
現在は当たり前にユーロスターを使うようになったので、ユーロスターがなかったことの方が違和感を覚えるほどです。
ただ、格安航空券とかも花盛りになり、ロンパリ間はユーロスターより飛行機を利用したほうが格安だったりもします。
都心から都心を繋いでいて、便利なものは、基本、高い。(苦笑)
右側通行になったのはナポレオンのせい?
フランスへのフライトは早朝だったため、まだ日も昇らない真っ暗な時間にバスに乗り込み空港へ。
空港で搭乗を待つ間に日の出を迎え、薄いオレンジ色の光が飛行機の翼に反射してキラキラする風景はとても美しかったです。
ロンドンからパリへのフライトは約1時間半。
離着陸の時間を差し引いたら、正味1時間という短さです。
そのとき利用した航空会社はエールフランスで、日本からのフライトではないので乗務員にも日本人はいません。
それがまた、なかなか「海外に来てる~~~」って気分を盛り上げてくれましたね。(笑)
なんせ400人もの日本人集団の中で旅をしているため、右見ても左見ても日本人だらけ&日本語まみれ。www
フランス人やイギリス人のCAさんしかいない機内の雰囲気、フランス語や英語でしか流れてこない機内アナウンスにテンションあがる~!
何を言っているのか、当時はサッパリ聞き取れませんでしたが。(笑)
パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着した一行は、ロンドンの時と同じく出迎えのバスへ直行します。
そして、気づいた。
バスの入り口がないんですけど!?(笑)
イギリスでは日本と同じ「左側通行」なので、海外へ来ても違和感なく過ごしていたのですが、、、ここフランスでは「右側通行」です。
当然ながらバスの入り口も右側に。
海外ビギナーだった私は、バスの入り口がなくて本気で驚いたっ。(笑)
バスが走り出すと、右側を走る違和感は更に大きくなって、慣れるまではいちいち交差点での対向車にドキッとしていましたねぇ~。
イギリスでは左側通行なのに、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国はなぜ右側通行なのか。
これには色々な説がありますが、一説にはフランス皇帝ナポレオンに起因すると言われているのをご存知でしょうか?
ナポレオンが左利きだったことに由来すると。
つまり、利き手である左手に剣を持ち、右手で馬の手綱を握って戦います。
そのため必然的に敵を刺すためには「右側を走り、左側へ剣を突く」という動作になりますよね。
敵の左側を走っていては、利き手を右側に交差して戦わねばならなくなります。
ゆえに、ナポレオンが支配したヨーロッパ諸国 のスタンダードは右側通行 になっていると。
ちなみにイギリス、かつての大英帝国はナポレオンに支配された歴史がありませんので、他のヨーロッパ諸国のようにその影響を受けることなく、右側通行にはならなかったのだとか。
そして、かつて 大英帝国の植民地となった歴史を持つ国々では今も左側通行のまま です。
オーストラリアやニュージーランドも左側通行ですよね。
こういう歴史の裏話って面白いですね。
花の都パリ、市内観光
さて、この日の午前中はバスでそのままパリの市内観光へ出発です。
パリと言えば「フランス革命」にまつわる多くの歴史の痕跡を見ることができる街。
それなのに、当時の私は今のように歴史大好き!って状況ではまだなかったし、トシちゃんのことしか頭になかったし(笑)、、、あまりの無頓着さに、のちのち自分でも呆れるくらいもったいない旅をしてしまいました。
しかも、この1989年は奇しくも「フランス革命200周年」の記念の年だったのです。
100年単位の周年祝は、ほぼ人生で1回しか経験できないものなのに、、、なんてもったいないことを。(苦笑)
革命300周年は 2089年か。
あと66年!?
絶望的。(笑)
ノートルダム大聖堂
最初に訪れたのは、荘厳な作りでとても美しいノートルダム大聖堂。
1225年に完成しているので、800年近い歴史があります。
しかしながらまだ記憶に新しい2019年4月、大規模な火災が発生し、尖塔などを焼失、屋根も焼け落ちてしてしまいました。
巨大なパイプオルガンが無事だったのは何よりでした。
私はノートルダムの荘厳な雰囲気が大好きで、この1989年の初めての訪問以来、春夏秋冬いろいろな季節に訪れています。
クリスマス・ミサの時の、この辺り一帯の厳かな雰囲気は独特。
もう少し世の中が落ち着いて、「円高」になったら(笑)また訪れたいですね~。
左側の写真は大聖堂の裏手にある公園からの風景ですが、大聖堂の正面側の広場では、足元に「POINT ZERO」のプレートを見ることができます。
マンホールの蓋のような形をしていますが、これは、この場所を起点としてフランス各地との距離を測るための指標。
つまり、ここが フランスの中心地点 というわけです。
ただこの場所、大勢の観光客が集まる場所だけあって、あまり治安がよろしくないです。
当時は特に「団体観光客」でいかにもな感じだったので、ガイドさんにも口酸っぱく注意喚起されつつ緊張感たっぷりの観光だったと記憶しています。
子どもを使ったスリが横行していた時代です。(最近はあまり子どものスリは見かけなくなりましたが、、、)
大聖堂の中はとにかく厳かな雰囲気が漂う別世界。
讃美歌が流れる中で、あちらこちらに蠟燭の炎が揺らめき、多くの人々が祈りを捧げていました。
ここが人々の 信仰の場 であることを身をもって体験。
実は私も中高一貫のミッションスクール(Roman Catholic)出身なので、こうしたミサにまったく馴染みがなかったわけではないのですが、正直、個人的な「信仰」というものとは別次元だったので、この厳かな大聖堂での体験は新鮮でした。
コンコルド広場
ノートルダム大聖堂の観光を終え、次に向かったのがコンコルド広場です。
だだっ広い広場の真ん中にそびえ立つ石柱。
空に向かって真っすぐそびえ立つその塔は「革命の象徴」です。
このとき、「たぶん」ガイドさんはフランス革命について、そしてこの場所がどんな場所であったのか、どんな意味を持つ広場なのかを説明してくれたんだと思います。
でも、あの頃の私は上の空で、聞いていませんでした。(苦笑)
写真はいっぱい撮っていたのですが、、、当時は何もわかっていませんでした。
あとになって、この場所こそが「革命広場」であったこと、国王一家や革命家たちが処刑された「断頭台」が置かれていた こと、中央の石柱はその記念碑であるということを知り、、、びっくり。
広々とした風景にただ感動しながらカメラのシャッターを押していただけの無邪気な18歳。
いや、無邪気じゃないな、、、とっても無知 な18歳。(苦笑)
ちょうどきっかり200年前、まさにその場所でマリー・アントワネットが処刑されていたなんて・・・
こんな経験があって、その後、40か国を旅してまわった私の旅には「訪問する国の歴史を学ぶ」という事前準備がマストになっています。
歴史を知ることは、旅を充実させるための「肝」になっています!
エッフェル塔~凱旋門
コンコルド広場を出ると、あとはお決まりの車窓見学です。
今思えば、パリの市内観光で「エッフェル塔」や「凱旋門」を車窓見学って、ちょっと手抜きすぎやしませんか?(笑)
メインどころでしょ。
どちらかというとコンコルド広場をバスでぐるりと回って、せめてエッフェル塔は下車してテラスから見学しようぜっ!って思うのですが。
バスの駐車場問題とか、いろいろあったのかも知れないけど。
バスの中で、ガイドさんの説明を聞きながら、言われるがままにカメラを窓の外に向けて写真を撮り。
でも正直、建物の名前とか、いろいろ言われてもわからん。(笑)
かろうじて、エッフェル塔と凱旋門くらいは理解して写真を撮った感じかな。
1989年当時のフランでは「フランス革命200周年」、そしてフランス革命の100年後、革命100周年を記念して開催された「パリ万博100周年」というW記念Year。
エッフェル塔はパリ万博が開催された際に記念として立てられたもので、それを記念する「100ans」の電飾が施されていました。
ちなみに、このエッフェル塔の名の由来、ご存知ですか?
エッフェル塔を設計、建設したのがギュスターヴ・エッフェルさん。
つまり設計者の名前から名付けられたのです。
エッフェル塔のふもとにはそのエッフェルさんの胸像が設置されています。
余談ですが、、、宝塚ファンの方へ。
『パリの空よりも高く』という瀬奈じゅんトップ時代の作品の中で、このエッフェル塔建設のエピソードが語られていますので興味があればぜひ。(霧矢大夢がエッフェルさんを演じています)
そして凱旋門。
ここは凱旋門を中心に、キレイに放射線状に道路が伸びています。
この時の観光では、バスで凱旋門の周りを2~3週グルグル。
おっきいね~、終了。(笑)
ここもね、本当はちゃんと自分の足で歩いて観光すると楽しいです。
凱旋門からまっすぐ延びているのが、歌にもうたわれている「シャンゼリーゼ」。
クリスマスシーズンには美しい電飾が施され、賑やかさを増します。
パリでの自由行動
駆け足でのパリ市内観光を終え、ホテルにチェックイン。
午後からはまるまる自由行動です。
ロンドンでの自由行動の時間は、まるまる「トシちゃん談義」でホテルに閉じこもっていた私たちでしたが、さすがにパリではちゃんと観光しましょう!と。(笑)
仲良し4人組で地図を片手にパリ市内へいざ、出陣。
パリでの宿泊先ホテルの記録が残っていなかったので、どこに泊まったのかは定かではありませんが、たぶん、良いホテル。(笑)
日本食レストランも含め、複数のレストランが入っていたし、ちゃんとお部屋にソファセットとかもあったし、パリ市内に出るのにもさほど困らなかった記憶があるのでね。
なんせ「お高いツアー」でしたから。www
シャネルのお店にトシちゃん出没!?
地下鉄に乗って中心街へ向かうのですが、いや~当時のパリ市内の地下鉄ってのは緊張感がありましたね。
乗車中は4人で固まって入り口付近のポールにへばりつき状態。(笑)
周囲からはたぶん「子どもたち」と思われていたんじゃないかな。www
最初に訪れたのはオペラ座。
ミュージカル「オペラ座の怪人」あるいは「ファントム」でおなじみのオペラ座です。
地下鉄を出ると目の前にデーンッとそびえ立っています。
中に入って観光することも可能ですが、この時は外観だけを楽しんで。
なんせ、一緒に行動していたお姉さま方の目的は「ショッピング」でございます。(笑)
このオペラ地区は街並みも美しく、ショッピングにも、グルメにも、なんでも揃う人気のエリア。
バブリー世代のOLお姉さま方 のブランドショップ巡りが始まった~。
大学生になりたてホヤホヤだった私は、個人的ブランドには「興味なし」だったのでですが、そこはチーム行動なのでね。(笑)
たしか、ヴィトンとかシャネルとか、ティファニーも行ったかな?
ランセルにも入った気がする。
完全に傍観者だったからうろ覚えですが(笑)、ハッキリ覚えているのは、ブランドショップの行く先々でツアー仲間の女性陣に遭遇したこと!
この日の午後、400人のトシちゃんファンのうち8割がた、パリの中心街でブランドショップ巡ってたよ、これ。(笑)
仲良しチームのお姉さまのひとりは、20万以上する腕時計を一括でカード払いしていたのを覚えていますが、そんなの序の口。
他の人たちを見ていたら、お店の日本人店員さんをつかまえてじゃんじゃん商品を出してもらってましたね。
飛ぶように売れていくから、店員さんの接客も良いったら。(笑)
ツアーに50万出して、さらにブランド品を買いまくるというバブル世代のOLさんたち。
このツアーは8月の下旬だったので、今思えば、夏のボーナス をドカンッとつぎ込んでいたんでしょうね~。www
そして、ブランドショップで遭遇するファン仲間たちは、ここでもトシちゃんの情報交換。
シャネルのお店にトシちゃんが来ていた!。
女性ものを買っていた!
(当時付き合っていたとウワサの)中山美穂ちゃんへのプレゼントに違いない!
な~んて。
トシちゃん、パリにいても気が抜けやしない。(笑)
しょうがないか、自分で400人ものファンをここまで連れてきちゃったんだから。www
でも、このとき美穂ちゃんへのプレゼントを買っていたかは定かではありませんが、シャネルのお店に出没していたのにはちゃんと理由があったことが、のちに判明します。
さすが、スーパースター田原俊彦! だな、とね。
またそのお話は次回、最終回で。
パリで食べるお寿司は美味
ひとしきりブランド・ショッピングを楽しんで満足した私たち御一行(いや、満足したのは私以外のお姉さま達だけなんだけどね…笑)。
次なるはお食事タイムです。
地図に載っていたいくつかのレストランの中からチェイスしたのは、なんと 日本食レストラン。(笑)
パリまで来て、何ゆえに和食ですか?www
オペラ座の近くの路地裏にある小さな日本人経営のお寿司屋さんでしたが、店内には地元のお客さんもいて、とっても雰囲気の良いお店でした。
そして何より、異国の地で食する「日本の味」は何よりも美味!
なにもパリまで来てお寿司を食べなくてもねぇ … なんて自分たちでも笑いましたが、最高においしかったです!
因みに、ホテルへ戻ってからの我々の行動も謎。
ホテル内の日本食レストランに入って、鮭茶漬け、食べました。(笑)
自宅で食べればたぶん100円?200円?程度の鮭茶漬けが、たぶん1500~2000円くらいしたと思いますが、、、
これもまた美味でしたよ。www
次回へ続く
今回は、このツアー唯一の「トシちゃんに出会わない日」でした。
トシちゃんの登場を期待して読み進めていた皆さま、がっかりですよね。(笑)
さて、次回はいよいよ最終回。
パリの夜を彩るのは「セーヌ河のディナークルーズ」です。
もちろん、トシちゃんとの至福の時間が我々を待っていましたよ♡
黒タキシードに身を包み、モテ盛り28歳、若き日のトシちゃんはほんとーにカッコ良かった。
そしてまた、フリーダムだった。(笑)
最終回をお楽しみに。
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