この記事は2023年5月19日に掲載した記事の再掲載です
『1789-バスティーユの恋人たち-』に登場する実在の人物を紹介するシリーズ。
今回は「シャルル・アルトワ」にスポットを当ててみたいと思います。
『1789-バスティーユの恋人たち-』で描かれている時代には、アルトワ伯爵の称号で呼ばれていましたが、彼はのちにシャルル10世としてフランス国王に即位していることをご存じでしょうか?
王政復古後のブルボン朝最後のフランス国王が、このシャルル・アルトワさんなのです。
シャルル・アルトワってどんな人?
まずはざっくり、シャルル・アルトワについてご紹介しますと、、、
▪ルイ16世の末弟
▪フランス国王ルイ15世の孫として好き放題甘やかされて育った
▪ハンサムで快活、憎めない人懐っこさを持っていた
▪一方で頽廃(たいはい)的な浪費家で、ギャンブル狂
▪フランス革命時にイギリスへ亡命
▪のちにフランスへ戻り、次兄の死後シャルル10世としてフランス国王に即位
▪ふたたび亡命、1836年11月6日に保養地ゲルツ(現イタリア領ゴリツィア)で死去
※ 頽廃的=道徳、気風などがくずれて不健全であるさま。
アルトワさんについて調べていると、とにかく「遊び人」「放蕩」「ギャンブル好き」という文言がずら~り。(笑)
でも、それと同じくらい「ハンサム」「人懐っこい」「愛嬌がある」などの情報もたくさん出てきました。
肖像画を見る限りでは、確かに甘~い香りが漂うハンサムですね!
フランス革命以前のアルトワ伯爵
シャルル・アルトワは、1757年10月9日に、フランス王太子ルイ・フェルディナンと、妻マリー=ジョゼフ・ド・サクスの4番目の子としてとして誕生しました。
頽廃(たいはい)的な浪費家でギャンブル狂。
ルイ15世の孫として好き放題に甘やかされて育ったアルトワ伯爵は、何をやっても許されてしまうような「王子様」だったといいます。
そんなシャルル・アルトワでしたが、1773年、若干16歳の若さで、次兄であるプロヴァンス伯爵の妻マリーの妹、マリー・テレーズ・ド・サルデーニュと結婚しています。
アルトワの享楽ぶりと浪費癖は王族の中でも突出していて、結婚して2年後の18歳の時には、国民が困窮に苦しんでいることには目もくれず、宴会ができるような自分専用の娯楽を目的とした宮殿を欲しがります。
そして実際に、パリ郊外のセーヌ川を一望できる絶壁に、自分の城を建設させてしまいました。
その建造費はといえば、前年1774年にブルボン朝第5代フランス国王に即位したばかりの長兄、ルイ16世がすべて負担したといいます。
しかも、あらぬことか義理の姉であったマリー・アントワネットと「どちらが自分の宮殿を早く完成させるか」を賭けの対象にしていたとか。
賭けに負けてはいち大事。
アルトワは、城建設の着工からわずか「65日」という短期間に、900人以上の労働者を昼となく夜となく働かせて「バガテル宮殿」を完成させたといいます。
なんともワガママなおぼっちゃま。
そのバガテル宮殿では日々、ギャンブルパーティーが繰り広げられ、わずか数年のうちに、5,600万フランにも上る借金を作って、そのすべてを国庫に肩代わりさせたのだとか。
アメリカ独立戦争が勃発していた時期の1782年には「ジブラルタル包囲戦」に参戦しましたが、これは彼が放蕩した生活を送らないようにするための苦肉の策だったようです。
フランス革命勃発
そんな感じで、フランス革命以前のアルトワ伯爵はほとんど政治にかかわることはありませんでした。
それでも、革命が勃発して以降は、義姉フランス王妃であるマリー・アントワネットとともに、宮廷内の反革命派を主導します。
そんななか、あの日が来ます。
1789年7月14日、民衆の一斉蜂起によるバスティーユが襲撃されました。
その直後に兄であるときのフランス国王、ルイ16世に命じられフランスを脱出します。
その後アルトワは「エミグレ」の指導者として、ヨーロッパ諸国の宮廷を回りながら王党派への支持を集めます。
エミグレとは
一般には「政治上の亡命者」を意味することばですが、特にフランス革命に反対してフランスから亡命した貴族や聖職者などのことをこう呼びます。
こうしたフランスからの亡命は、革命勃発直後から始まり、徐々に増えていき3万人を超えたといわれています。
その中には、アルトワ伯爵の次兄、プロバンス伯爵(後にルイ18世として即位)も含まれていました。
エミグレたちはイギリスやイタリアをはじめとするヨーロッパ各国に及び、反革命派の仲介者として軍を組織し活動を行っていたため、革命政府側は彼らに対して財産の没収や永久追放など、厳しい措置をとっていました。
1793年に長兄、フランス国王ルイ16世が処刑。
1795年にその息子ルイ17世が死去。
その後、ルイ18世として即位を宣言したのが次兄のプロヴァンス伯爵です。
国王となった次兄ルイ18世からムッシュの称号を与えられたアルトワは、いちどは戦に遠征したこともありましたが、それ以上の進軍を拒否、ふたたびイギリスに亡命してしまいます。
臆病風に吹かれるとすぐに逃げ出す頼りなさはありましたが、愛した女性が亡くなったときには、カトリック教義に忠信を誓い、自重した暮らしを送り始めたといいます。
シャルル10世として国王に即位
1814年2月になって、アルトワ伯爵はフランスに戻ります。
アルトワ伯爵はパリに入城し、次兄ルイ18世の治世においては王国総代理官として同盟軍と軍事協約を締結したり、超王党派の指導者を務めたり、重要な役割を果たしました。
そして、1824年9月、ルイ18世の死去に伴い、自らがシャルル10世として、フランス国王に即位したのです。
即位した直後には、謙虚な姿勢で国民からの支持を集めていましたが、ランスで行った戴冠式はアンシャン・レジーム(絶対王政時代の旧体制)を彷彿とさせる豪華なもので、王権神授説に基づいた統治をおこなうことを国民に示したのでした。
王権神授説とは
「王権は神から付与されたものであり、王は神に対してのみ責任を負う。
また王権は、人民はもとよりローマ教皇や神聖ローマ皇帝も含めた神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない」とする政治思想。
シャルル10世の統治期には様々な問題が起こっていますが、細かく書いてもわけわからんがな…になりますので割愛しますが(笑)、最終的にはパリ市民による「七月革命」によって王位を追われることになります。
海岸部の町シェルブールに撤退、そこから船に乗り、みたび、イギリスに亡命しました。
以降は、ハンサムで快活、憎めない人懐こさで各地の王族に可愛がられながらヨーロッパ各地を転々としながら余生を過ごしたといいます。
そして、1836年11月6日、保養地のゲルツ(現イタリア領ゴリツィア)にてその生涯を終えました。
御年79歳でした。
フランス国王で唯一国外に眠る
シャルル10世(アルトワ伯爵)の遺体は、遺言に基づき、終焉の地となったノヴァゴリツァ市(現スロヴェニア領のノヴァ・ゴリツァ)郊外の教会に埋葬されました。
異国から我が町にやってきたフランスのプリンスとして丁重に葬られ、今もそこに彼の亡骸が眠っています。
が、しかし。
フランスの歴史団体は「フランスの国王で唯一フランス国内に埋葬されていない」シャルル10世の遺骨を、母国フランスにに戻すよう運動を行っているのだそうです。
ノヴァ・ゴリツァ市長や地元の人々は、シャルル10世の終焉の地として、彼の存在自体がもはや地元の「歴史の一部になっている」として、歴史団体からの要求を拒否する姿勢を見せています。
歴史を知るとその人の人生が見えてくる
『1789-バスティーユの恋人たち-』に登場するアルトワ伯爵は、アントワネットのスキャンダルを追いかけて、兄の失脚を狙っているような印象でしたが、、、
実際にはともに宮廷内の反革命派を主導していた!?
アルトワ伯爵とアントワネットは、いわゆる「悪友」だったという記述もありました。
そして、このアルトワ伯爵の人生は、この作品で描かれているバスティーユ攻撃までの時間にさほどドラマはなかったんだな、と。
兄王ルイ16世に国外へ亡命するよう命じられて以降の人生が、言わば「本番」だったんだな~と思いました。
フランス国王であった兄たちが処刑という最期を迎える中で、シャルル・アルトワは王政復古の荒波の中で国王として即位し、多くの困難に立ち向かいました。
そして、退位(譲位)後も、兄たちのような最期ではなく、ヨーロッパ各地を転々としながら生き延び、たぶん、最期は穏やかに、79歳という人生を全うしたのではないでしょうか。
この作品のクライマックスである「バスティーユ攻撃」によって、アルトワ伯爵の人生がある意味、動き出す。
そんなアルトワ伯爵の「その後の人生」を思い浮かべながら作品を観てみると、それまでとは違ったアルトワ伯爵の姿が浮かび上がってくる気がしませんか?
sora 自身も、アルトワ伯爵の生涯をちゃんと調べたことがなかったので、こうして調べてみて、よかったな~と思いました。
まとめ
おもいのほか、中身の濃いアルトワさんの人生・・・。
今回調べてみて、よりシャルル・アルトワという人に興味が湧いてきました。
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