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【歴史を学ぶ】ディミトリとルスダン女王、ジョージアの歴史を紐解く

ジョージア

この記事は2022年11月19日に掲載した記事の再掲載です

星組公演『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』が開幕し、おおむね好評を得ているようで。

昨日、東京公演の友会2次抽選結果が出ましたが、みなさまチケットはGETできましたか?

私はまたもや撃沈しました。。。

一時期は毎公演、予想以上に必ず当選する(正しくは、してしまう… 笑)という状況に複雑な泣き笑いが続いていましたが、最近はホント~に当たらない。

今年の「おとめ」も売り切れているし、宝塚の何度目かわからぬいわゆる「ブーム」が続いていますね。

組ごとに若干の偏りがある気はしますが、嬉しいやらチケット難で悲しいやら。

さて、気を取り直して。

というより「八つ当たり気味に」(笑)、史実を紐解いてみました。

ジョージアという国

実は仕事関係でジョージア出身の知り合いがいます。

彼らは過去に現在のウクライナと同様の経験をしていることから、特に今の東ヨーロッパ情勢には大きな関心を寄せているとともに、とても心配しています。

グルジアからジョージアへ

かつてソビエト連邦下において、「グルジア」と呼ばれていたジョージア。

ロシアに隣接する小さな国です。

1991年のソビエト連邦崩壊後さまざまな経緯を経て、日本では2015年より正式に「ジョージア」が国名として採用されています。

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これは2014年の首脳会談において、ジョージア政府より日本政府に対して「グルジア」の使用取りやめ、および「ジョージア」への外名変更が正式に要請されたためです。

国の正式名称が政治的な状況により特定国との間で個別に変更されるのは非常にまれで、当時2例目だったようです。

また、同じ名称であるアメリカ合衆国のジョージア州と区別するため、「ジョージア国」と表記したり、旧名称の「グルジア」を括弧で併記するのもよく見かけます。

ジョージアの自然

ジョージアは、ヨーロッパとアジアの十字路に位置する小さな国 です。

北側にロシアとの国境、南東側にアゼルバイジャンとの国境、南側にはアルメニア とトルコの国境があり、西側は黒海に面しています。

首都トビリシ(Tbilisi)は、5世紀に設立されました。

6万9,700平方キロメートルの総面積を持ち、国の人口は372万人。

因みに日本の国土の総面積が約37万8,000平方キロメートルなので、日本の約6分の1の大きさの国ということになりますね。

北海道(約7万8,000平方キロメートル)より少し小さいくらい。

でもこの小さな国土には、なんと2万6,060の河川と、40以上の自然保護区があるといいます。

つまり、ジョージアは手つかずの自然が多く残されている「美しき自然」の国なのです。

そのため、世界中の作家や詩人たちのインスピレーションの源となっていると同時に、旅行者たちを惹きつけています。

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荘厳な雪山、山間の湖、高山の牧草地、花や果物でいっぱいの峡谷、ヤシの海岸、洞穴、ミネラルウォーターや硫黄水で自然にできたプール(水溜まり)など、「地上の天国」と呼ばれるだけあり、自然の宝庫!

宗教と世界遺産

『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』をまだハイライトしか観ていないので、それが描かれているのか分かりませんが、人質としてジョージア王国へ送られたセルジュークの王子ディミトリは、父の命令で「キリスト教」に改宗してジョージアへ来ています。

ジョージアは4世紀にキリスト教に改宗、国としてキリスト教へ改宗した世界で最初の国のひとつとされています。

以降、宗教の自由が許され、何世紀にもわたって異なる信仰と宗教を持つ人々が平和的に共存してきました。

現在、人口の大半はキリスト教の正統派が占めていると言いますが、ジョージアはカトリック教会やシナゴーグ、モスクなど異なる宗教施設が並んで建てられている、世界でも数少ない国のひとつです。

ジョージアにはどの地域にも古くからの歴史あるキリスト教の教会を見ることができ、そのうちのいくつかは ユネスコの世界遺産 に登録されています。

 スヴェティツホヴェリ大聖堂

ディミトリ-ジョージア

首都トビリシから20キロ離れた歴史的な町、ムツヘタにある11世紀のグルジア建築。

この大聖堂の下には、キリストの聖骸布が埋葬されているという伝説があり、この場所は特に神秘的で神聖な場所とされています。

ジュヴァリ修道院

ディミトリ-ジョージア

ムツヘタの東に位置する6世紀の教会と修道院です。

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ここから眺めるマウントクヴァリとアラグヴィの合流は、ジョージアで最も美しいと言われている景色のひとつです。

ディミトリ-ジョージア

バグラティ大聖堂

ディミトリ-ジョージア

クタイシのウキメリオーニの丘に位置しているこの大聖堂は、11世紀に建てられて以来、その堅固な構造のおかげで過去の多くの侵略にも屈せず、今もその姿を誇らしげに留めています。

ゲラティ修道院

ディミトリ-ジョージア

ジョージアの伝説的な王であり、建築家のダビデによって12世紀にクタイシ近郊に建てられたグルジア建築の宝石と呼ばれています。

中世には、このゲラティ修道院が宗教と教育の主要な中心地となっていました。

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自由のための闘争の歴史

ジョージアは、黒海、ロシア、トルコ、アゼルバイジャン、アルメニアに囲まれたコーカサス地方に位置しています。

そのため、多くの外国にとって経済的にとても魅力的な場所であり、紀元前から何世紀にも渡って世界の東と西の両方から侵攻を受け、継続的な戦争と革命を経験してきました。

ジョージアは初期の時代にギリシャ人、ペルシャ人、ロ ーマ人に侵略され支配された歴史があります。

また、7世紀にはアラブ人によって侵略されましたたが、この侵略はジョージアにかなり多くの影響を与えたと言い、のちのジョージアにみられる多様な文化がそれを証明しています。

11世紀から13世紀にかけて、ジョージアは「文化的、政治的、軍事的な上昇の黄金時代」を迎えます。

しかしその後、14世紀にはモンゴルの侵略を受けることに。

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1921年、ジョージアは赤軍の侵攻を受け、その後、ソビエト連邦の一部となります。

それから15年後にはソビエト連邦の15共和国の1つとされ、スターリンの政権下で極度の抑圧を経験しています。

自国の権利と自由を抑圧されたのです。

そして1991年、ソビエト連邦が崩壊。

ジョージアは独立を宣言、翌年には国連に加盟しました。

1995年には憲法を改正して大統領選挙を実施し、それ以来ジョージアは民主主義国家として自由を行使しています。

ディミトリの名は「ギアス・アッディン」

『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』の原作、並木陽さんの小説「斜陽の国のルスダン」で描かれている、主人公ルスダン女王を一途に愛し、その命を捧げるディミトリ。

史実でも、実際に他国からジョージアへやって来て、ルスダンと結ばれた男性がいます。

どんな男性だったのでしょうか?

セルジューク朝の王子ギアス・アッディン

ディミトリのモデルになっているセルジューク朝の王子ギアス・アッディンは、グルジアの年代記によると、ハンサムで肉体的に強い男性であったと伝えられています。

彼は1206年に誕生し、1226に消息不明となっています。

つまり、ディミトリがルスダンに命をもって愛を捧げたとき、まだ20歳だったということですね。

結婚当時は17歳で、ルスダンより若かったようです。

セルジュークの王子を選んだのはルスダンであるとされる一方で、グルジアの侵略から国を守るためにエルズルムの首長が自ら結婚を提案したという説もあります。

グルジア側がイスラム教徒であることを理由に拒否したために、首長は息子に女王ルスダンと結婚するためにキリスト教への改宗を命じ、ギアス・アッディンはそれに従ったのだと。

セルジュークの王子であったギアス・アッディンは、女王ルスダンの配偶者であってもグルジア宮廷での地位は低く、とても「弱い立場」でした。

ある専門家は、その証拠として、彼がそれまでのグルジア王が受けていた護衛は付けられていなかったし、ルスダンの母であるタマル女王の夫、ダヴィド・ソスランが享受していた高い地位は与えられていなかったと語っています。

グルジアに残されている資料では、ルスダンの配偶者である彼に「王」の称号を与えず、彼が軍の司令官であったことや、その他の国家的な問題に関与していたことを記していないといいます。

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ギアス・アッディンとルスダンの結婚生活

ギアス・アッディンが結婚した女王ルスダンは、グルジア王(女王)タマルとその夫ダヴィド・ソスランとの間に生まれました。

1223年に兄王ジョージ4世の死により、その後を継ぎ予期せずしてグルジアの女王となりましたが、ジョージ4世の早すぎる死は、グルジアの黄金時代が終焉を迎える始まりとなります。

結果として、女王ルスダンは偉大な女王であった母親タマルと、兄王ジョージが築き上げてきたグルジアを守ることができなかったのです。

ルスダンの不貞は史実だった

中世の文献によれば、ルスダンは快楽に溺れる美しい女性として知られていたようです。

『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』(原作「斜陽の国のルスダン」)にも描かれている、ルスダンの奴隷との不貞は実際に起きていた史実のようです。

あるときルスダンがベッドで奴隷、マムルケに抱かれている姿を目撃したギアス・アッディン。

でも宮廷でのギアス・アッディンの立場は弱いのが現実。

ルスダンは、自らの不貞をギアス・アッディンが許さないことに怒り、彼を「別の町」に移し、厳重に監視させたとされています。

わがままルスダン・・・。

ギアス・アッディンとルスダンの間には、娘のタマルと息子のダビデの2人の子供がいました。

のちに娘タマルは従兄弟でラムのスルタンであるカイクスロー2世と結婚し、グルジュ・ハートゥンという俗称で知られるようになります。

息子ダビデは1245年にルスダンの死後、グルジアの王となり、グルジア西部のイメレティ王国第一王朝の祖となりました。

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美しき愛はルスダンに伝わったのか

1225年の秋、グルジアはモンゴルに追われたホラズム帝国の王、ジャラル・アッディーン・ミングバーヌに攻撃されます。

ホラズム帝国の王、ジャラル・アッディーン・ミングバーヌが『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』で言うところの「ジャラルッディーン」です。

グルジアはガルニの戦いで敗北、首都トビリシは包囲され、1226年、ホラズム帝国の国王ジャラル・アッディーン・ミングブルヌがグルジアの首都トビリシを征服します。

女王ルスダンの逃亡

この頃、女王ルスダンは西方の領地に王宮を移しました。

しかしトビリシの市民は勇敢に戦い、10万人以上の命が失われたといいます。

戦いに敗れたグルジア人は、改宗してイスラム教徒になるよう命じられますが、これを拒否したトビリシのほぼ全住民が虐殺されたと言われています。

記録者アル・ナサウィによれば、ルスダンの夫、ギアス・アッディーンはイスラム教に改宗し、ジャラル・アッディーンから安全を保障されたようです。

ここで出てくる記録者アル・ナサウィは、天華えま演ずるジャラルッディーン腹心の書記官のことですかね。

ルスダンはこの時期にギアス・アッディーンとの結婚を破棄しました。

ギアス・アッディンは消息不明に

ギアス・アッディンはイスラム教に改宗してジャラル・アッディーンに忠誠を尽くしていたかのようですが、実は史実においても、物語と展開は同じだったようですね。

ジャラル・アッディーンがアフラトを包囲するために出発して行くと、彼は再びキリスト教に戻り、グルジア人からの信頼を得ます。

そしてトビリシにいる敵国ホラズムの守備隊の弱さを、グルジア人に知らせたのでした。

ただ、これ以後、ギアス・アッディンの消息は不明となり、歴史から姿を消しています。

ディミトリ、愛のかたち

この出来事が『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』の原作「斜陽の国のルスダン」では、ルスダンへの愛の証として美しく描かれています。

ルスダンはその大きな愛をいち女性としてではなく、女王としての覚悟をもって受け止める姿が切なく、ドラマティックに描かれていて大好きな場面です。

ジャラル・アッディーンを裏切った形となったディミトリ(ギアス・アッディン)が、あまりにも自然にそれを認め、自らの命をもって清算する。

その生き様をしかと受け止め、彼の死を見守るジャラルッディーン(ジャラル・アッディーン・ミングバーヌ)の場面は感動的です。

史実に忠実に描きつつ、ところどころドラマティックにフィクションが盛り込まれていますが、そのセンスが秀逸。

早く舞台で観たい!

こっちゃんディミトリが観たい!!

でも、チケットがない!!!

ひとまずは来月の配信を心の支えに、日々過ごそうと思います。

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まとめ

今回は、かつてグルジアと呼ばれていた国、ジョージアの歴史を紐解きつつ、ディミトリを違った角度から楽しんでみました。

島国である日本に生まれ育った私たちにとっては、政治的な状況で国の名前すら変わってしまうという現実を理解するのは難しいことかも知れません。

でも、今回のように大好きな宝塚歌劇の作品として知らなかった様々な国に出会い、歴史に触れ、関心を持ってその事実を知識として知ることには大きな意味があると思います。

私がが歴史に興味を持つきっかけは宝塚歌劇でした。

そして更にその歴史好きがヨーロッパを中心とした海外への関心を生み、今では既に40か国を飛び回り、様々な国の文化・歴史・人々と触れ合うことの楽しみを知りました。

そしてまた、多くの国に触れた現在、宝塚歌劇の舞台として登場する国のことを身近に感じたり、自分の知識や経験がリンクしたりして、更に舞台を楽しむことができているという好循環。

これからも、少しずつ舞台に登場する歴史物語を紹介していければと思っています。

ジョージア

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