PR

【星組】『1789』ダントンは愛妻家の浮気者?ソレーヌとは浮気だった

Sponsored Link

『1789-バスティーユの恋人たち-』に登場する実在の人物を紹介するシリーズ、今回は天華えま演じるダントンを取り上げます。

宝塚歌劇や東宝ミュージカルに登場するダントンは、当たり前に二枚目で登場していますが、実は、彼は「醜男」であったことで知られています。

幼い頃からわんぱくで、牛とじゃれ合った際に事故に遭って鼻が潰れ上唇にも傷跡が残りました。

さらに、天然痘にかかった際に残った痘痕(あばた)もあって、歴史上「醜男」として語られているようです。

しかしながら、革命家としてのダントンは魅力的な男でもありました。

今回は、そんなダントンの生涯を深堀してみたいと思います。

ジョルジュ・ジャック・ダントンってどんな人?

まずはざっくり、ジョルジュ・ジャック・ダントンについてご紹介しますと、、、

  • 平民出身の弁護士
  • やがて平民の先頭に立つ革命家へ
  • 女癖は悪いが愛妻家
  • ダントン派を組織し恐怖政治の廃止を呼びかける
  • ロベスピエールにより逮捕、処刑される

ミュージカル『1789』は、その後数年にわたって繰り広げられた革命のきっかけ「バスティーユ攻撃」までの物語なので、歴史に詳しくなければ、ロナンをとりまく革命家たち、ダントン、デムーラン、ロベスピエールは、行動を共にする仲間としての認識でストップしていると思います。

Sponsored Link

でも、実はその後、ルイ16世やマリー・アントワネットを処刑し、恐怖政治を展開していくジャコバン派のリーダーに上り詰めていくロベスピエールと、恐怖政治への反発を強めていくダントンとの間には大きな溝が生まれていきます。

そして、こともあろうことか、ダントンとデムーランは、ロベスピエールの手によってギロチンへ送られてしまうのです。

歴史を知れば、舞台の見方が変わるかも知れません。。。

ダントンの生い立ち

ダントンは平民の出身です。

祖父は農民、父は裁判所の書記でした。

まだ幼い2歳のときに父親を亡くし、11歳のときに母親が再婚しています。

幼少期からどこか羽目を外したがるわんぱく坊主で、冒頭で紹介したように、牛とじゃれ合って事故に遭い、鼻が潰れて上唇に傷跡が残ってしまったエピソードが知られています。

腕白ではありましたが、決して頭が悪かったというわけではなく、ダントンは21歳の時、父と同じ法律家の道に進むべくにパリへ出ます。

そして法律事務所で見習いをしながら勉強します。

やがてランス大学の法学部で学び、弁護士になったのでした。

とはいえ、この頃のダントンは冴えない無名の弁護士でしたから、なかなか仕事は来なかったようです。

この辺り、盟友のデムーランと少し似ていますね。

このパリで法律を学び始めた頃から、ダントンは革命に関心を持ち始め、徐々に自らも革命に身を投じていくようになります。

Sponsored Link

ダントンは浮気性だけど愛妻家!?

ダントンは1787年、バスティーユ攻撃の2年前、幼馴染のアントワネット・ガブリエルという28歳の女性と結婚しています。

そして同じ年、彼は妻の父や、かつて愛人であった資産家女性から、6万リーブルという高額の借金をして王室顧問会議の資格と弁護士事務所を買い付けました。

その甲斐あって、ダントンは王室顧問会議付きの弁護士として活躍することになります。

昔の愛人から借金するほどに女癖が悪かったと言われるダントンですが、実はとても愛妻家としても知られています。

ガブリエルとの夫婦仲はとても円満だったといいます。

結婚後二人の間には4人の子どもが生まれましたが、残念なことにガブリエルは4人目を死産したのち、それが原因で亡くなりました。

結婚してからわずか6年、1793年のことでした。

妻が亡くなったとき、ダントンはベルギーへ派遣されていたため立ち会っていません。

最愛の妻を失い錯乱状態のダントンは、フランスへ帰国後に妻が埋葬されているサント・カトリーヌ墓地まで行き、墓地の管理人の助けを借りて妻のアントワネット・ガブリエルの棺を掘り起こさせたといいます。

Sponsored Link

棺を開けて妻にキスを浴びせながら、それまでの自身の数々の浮気を許してくれるよう懇願したそうです。

愛妻家であるダントンと、浮気者であるダントン、どちらも「ダントン」の本当の姿だったことが、このエピソードで透けて見えますね。

ダントンは、彫刻家クロード・アンドレ・デシーヌに依頼し、亡骸からデスマスクをとって胸像を作らせました。

この胸像は現存しており、フランス南東部ヴィジユという町の「フランス革命博物館」で保管されています。

なんとも狂気じみた話ですが、これも彼の愛妻家としての一面なのでしょうか。

ただ、ダントンはその4か月後には亡くなった妻ガブリエルの知人の娘と再婚しています。

これは、ガブリエルの「再婚してくださいね」という遺言があったためだとされていますが、最愛の妻を亡くして4か月で再婚・・・ちょっと理解するのが難しい。。。

こうしてダントンと妻ガブリエルの話をしながら、気になっている方もいると思います。

あれ?

ロナンの妹は・・・?(笑)

Sponsored Link

ダントンとガブリエルが結婚したのはバスティーユ攻撃の2年前、1787年。

そしてガブリエルが亡くなったのは1793年です。

ミュージカルで描かれている「1789年」にはすでにダントンは既婚者

ロナンの妹ソレーヌとは・・・夜の女との火遊び!?

完全に浮気じゃん。www

バスティーユ陥落後のダントン

ジャコバン派の集まりである「ジャコバンクラブ」に参加したダントンは、その行動力でたちまち頭角を現し、1790年には自身の住む街区を拠点にしてコルドリエ=クラブを創設、立憲君主派を攻撃します。

その後、「シャン=ド=マルスの虐殺」の際に騒動に巻き込まれて一時イギリスへ亡命しますが、1791年には帰国、ロベスピエールと活動を共にすることに。

シャン=ド=マルスの虐殺とは

1791年7月17日、パリの練兵場に平和的示威行動のために集った5万人の大群衆に対し、解散を命じた国民衛兵隊が発砲した事件。

1792年8月10日、市民と軍が宮殿を襲撃し、国王一家をタンプル塔に幽閉します。

Sponsored Link

この事件は、国王処刑、共和政樹立へと向かう「第二の革命」と言われ、サンキュロット(職人や商店主などの庶民、小ブルジョワと言われる人々)によって起こされたものでしたが、彼らの蜂起を扇動したのがダントンでした。

ダントン自身も「私が事件を準備したのだ」と語っています。

この蜂起の成功は王政を倒壊させるきっかけとなり、ダントンは「8月10日の男」と呼ばれるように。

そして、一躍革命の中心に躍り出ることになったのです。

この後も様々な出来事があったわけですが、例によってあれやこれやの細かいことは割愛します。(笑)

ただ、ダントンは「王政は廃止するべきであるが、国王夫妻の処刑は必要ない」との考えであったといいます。

革命の流れの中で、致し方なく国王の処刑には賛成票を投じていますが、その後の王妃の処刑も必要なし、と考えていました。

ロベスピエールたちが推し進めていた「恐怖政治」に対し、徐々に疑問と反発心が芽生えていたダントンは、やがて、王妃を処刑から救う側に回ります。

ダントン派を結成し、恐怖政治に批判的な行動をとるようになっていきました。

このとき行動を共にするダントン派には、カミーユ・デムーランの姿もありました。

Sponsored Link

ダントン、処刑台に散る

ダントンのこうした動きを良しとしないのが、ロベスピエールでした。

ダントンやその仲間たちを危険な宥和主義と批判するようになり、1794年3月30日、ロベスピエールの右腕であったサン=ジェストの告発によって、ダントンやデムーランらが逮捕。

逮捕後の裁判では無実を訴えましたが、裁判は公安委員会によって中断され、まともに弁明も許されず死刑判決を受け、逮捕からわずか6日後の1794年4月5日、ギロチンにかけられこの世を去りました。

ダントン、このとき34歳でした。

ダントンは処刑場に向かう馬車の中から、ロベスピエールに向かってこう叫んだといいます。

「次はお前がこの後に続くことになる」

このダントンの言葉通り、ロベスピエールの足元はじきにぐらつき始め、自らも断頭台に散りました。

ダントンは処刑台に上るとき、死刑執行人であったサンソンに言いました。

「民衆に俺の首をよく見せてやるがいい。これだけ価値のある頭はめったにないからな。」

これがダントンの最期の言葉だったと言われています。

Sponsored Link

まとめ

ダントンのことを調べていくと、ロベスピエールの「恐怖政治」に対して、寛容派で人間味溢れる性格や行動が好意を持って受け止められている、ということを感じますね。

革命におけるダントンの功績はフランス国民に語り継がれ、銅像が作られたり、ダントンの名前を冠したストリートなども作られたりしています。

平民出身で、女好きで愛妻家、醜男であっても人々から愛されるキャラクター、、、

革命家としてのダントンのもう一つの姿。

『1789-バスティーユの恋人たち-』で、ぴーちゃん(天華えま)がどんなダントンを見せてくれるのか、楽しみですね!

【宝塚音楽学校】すみれ募金「美人」と噂の御子柴凜々子さんは子役出身
宝塚音楽学校の成績とスターの切符の関係性・70期~成績上位者リスト有
【星組】1789 公演中止「消えない礼真琴の健康不安説」に重なる心労
【宝塚】2024年トップ&各組スター人事を考えてみたらこうなった
【宝塚】2024年後半は各組の体制がこうなるんじゃない?ってはなし
【星組】礼真琴の舞台を振り返るシリーズ① 第95期 音楽学校文化祭
【星組】礼真琴の舞台を振り返る⑪『メイちゃんの執事 』(研2)
【星組】礼真琴の舞台を振り返る19『Celebrity』(研4)
【星組】礼真琴の舞台を振り返る36『風と共に去りぬ』全ツ(研6)
【星組】礼真琴の舞台を振り返る69『Éclair Brillant』(研11)

初舞台から現在まで『礼真琴の舞台を振り返る』シリーズ

【星組】礼真琴の舞台を振り返る・出演作品一覧 SINCE 2009
礼真琴の舞台を振り返るにあたり、これまでの出演作品の一覧表を作成しました。 手元になくて振り返ることができなかった作品もわずかにありますが、ほぼすべての公演を振り返っています。 礼真琴の舞台を振り返るシリーズは、第81回『モアー・ダンディズ...
【おすすめギフト】チーズとエビせんの和風マカロン!?カラフル映え菓子
ネット広告を見て以来、ずっと気になっていた「ジャパニーズ・マカロン」なるお菓子をお取り寄せしてみました。 とにかく見栄えがカラフルでカワイイのね、これ。 え、この色、、、エビせんべい!? 大丈夫なのか?(笑) ちょっと怖いもの見たさで、ポチ...

宝塚歌劇団HP

Sponsored Link
タイトルとURLをコピーしました